「努力は必ず報われる。ただしそれが自分の想像していた形で常に訪れるとは限らない」と個人的には思っている。報いはいつも思いがけない場所とタイミングで訪れる。「この報われ方でないとダメだ」と思っているとそれを見逃してしまうと思う。それは実は自分の努力の可能性を狭めているかもしれない。
— ヤギの人(マスク) (@yusai00) 2021年4月5日
努力は報われる「ことも」ある。でも報われなかった努力のなんと多いことよ。しかし、なぜか歳を重ねると報われなかった努力のかけらの方がキラキラと輝いて見える。それらを拾い集めてしみじみと眺め「まあ、頑張っねぇ自分。頑張らないよりはマシだったんじゃないかな」などと思う。
— みお (@miomiopyonkichi) 2021年4月4日
努力が報われるかどうか、については「努力すれば報われるが自分が望む報われ方とは限らない」というのが僕の個人的な考え方です。
— マルキン (@ma_ru_kin) 2021年4月6日
そもそも私はそんなに『努力』をしてきたのかどうかは分からないところではあります。
何を以って『努力』とするか、
欲しい成果に結びつかなかったものが多々ある以上、『努力』が足りないのでは、と、
まだまだ途上に過ぎない と思うことはあります。
けど、色々頑張ってきたなー とは思ってます。
慣れないことをやってみたり、
新しい環境に踏み出してみたり、
痛い目に遭ったことも結構あります。
ただただ苦労したこともあります。
ほーんと、よくやってきたなー って思ってます。
私が私に厳し過ぎるんですよ。
『自分と戦いすぎる面』っていうのもあるみたいだし、
『完璧主義と反骨精神』ってのもあるからね。
自分の中で “こう” ってことが強くてそこを崩せないこともあるし。
“上” とか、自分と相容れない存在に「!?」ってなることもあるし。
いやぁ… ほんと色々頑張ってきてるよ。
私すごいな って思います。
なんか一部の成功者の中には
「自分のことをすごいなんて思ったことがない」
なんて言う人もいるみたいで、
それが頑張るモチベになる人もいるんでしょうけど、
私の場合は自己卑下しやすいし、ダメだとすぐ「死ぬ」とか言うので、
自分で頑張ってきたことをちゃんと認めて労っていきますね。
ま、単純に怠惰なところも自覚はしてるので、実際に努力が足りないこともあるのでしょうが。
無闇やたらに、欲しい成功に繋げようと躍起にならずに、やれることやっていって、ちゃんとやったことは自分で認めていきたいですね。