正しくない物語が救う孤独の話|あおぞら
— あおぞら (@aozora_rururu) 2021年11月2日
というnoteを書きました。
正しい表現に傷つき、正しくない表現に救われるひとたちの話です。
短くて穏やかな記事にしました。
#note https://t.co/aJmFRGWC6w
いい記事でした。
自分に適した、自分の欲しい残虐な作品 を求めたい心情ってありますよ。
私は2時間ドラマとかの刑事モノで、刑事側にしても犯人側にしても恫喝して暴力をふるうシーンはダメなのですが、
これが復讐を伴って感情移入のできる56すような作品だったら見れるんですよ。
自分の立場や境遇に似たような作品ストーリーであったとして、最後にヒーローが助けてくれるような作品だったとして、
「けど、現実は助けてくれなかったじゃん」
「誰もわかってくれなかったじゃないか」
……ってのが経験として積み重なってると、『普通の作品』では救われませんもの。
それは残虐なほうだけじゃなく、性的なほうでも。
だから色んな作品があってほしいし、自分に合わないものは合わないものとして脇に置いておくとかで。
私自身は「そんなものなくてもいいと思っている」側だけど、自分にとってなくてもいいのと、世の中になくてもいいかどうかは別物だしなあ。 https://t.co/YNdfIfkI8r
— madogiwap (@madogiwaperson) 2021年11月3日