たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。 pic.twitter.com/ZWSbELIIZ4
— 小野ほりでい (@onoholiday) 2021年11月1日
「何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において(…)」
— 小野ほりでい (@onoholiday) 2021年11月1日
「肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は虚しい。この優先順位を逆転させることはできない。(「これがニーチェだ」p23)」
— 小野ほりでい (@onoholiday) 2021年11月1日
自分の生にまったく価値が感じられないという人に、命の普遍的価値を説くとか、あるいは死刑で罰するというのはまさにそう所作が前提にしているものを欠いたままでしかできない、という話だと思います。タイムリーかどうかは分かりませんが。
— 小野ほりでい (@onoholiday) 2021年11月1日
自殺防止ポスターとかはさらにこの問題が顕著で、「自分の命が大切に感じられない」人に向けて「命の一般的な大切さ」を説くことで自分の命を大切にさせようとするんですよね。そうではなくて逆に「自分の命の大切さ」が「一般的な命の大切さ」の条件なのに。
— 小野ほりでい (@onoholiday) 2021年11月2日
『人生が楽しい』と思えない感覚を得てしまってる時点でもう失敗です。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年11月3日
残念でした。
前から何度か書いてるんですけど、そもそも「命を大切に」とか「尊い命」とかご高説頂いたところで、尊厳とか人権とか生活そもそもを危機に陥れようとしたり、立場の強い方々が仰いますご自身の都合で高圧的なふるまいで抑圧をかけてこられて、
フィジカルもメンタルも脆弱な状態に長い時間をかけてボコボコになされておき乍ら、
「命を大切に」ってw
……といったところでございますので、
そういった感覚が身に染みていない時点でもう失敗ですね。
また、仮に後年にあって、上記のような視点を会得することが出来ればまだ良いのですが、そのような視点を知ることなく、高圧的なふるまいのまま、その肯定感(≒皇帝感)を維持されたままお過ごしの方もみえますので、そう致しますと後年にあっての改善なども大変厳しく難儀なものと思われますね。
そこで生きること自体に価値を見出せないと、自分の命も他人の命も粗末にしていいと思えるのですから お察しですね。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年11月3日