処世術としての、
— 望月もちぎ@9/30最終巻 (@omoti194) 2021年10月9日
「全員に薄っすら嫌われてると考えて行動する」
「全員に好かれてると思い込む」
「みんな所詮他人だから気にしない」
は、とにかく誰に対しても同じ程度の期待値を持つことで脳のリソースをいちいち人間関係に割かずに済むんやろな。
ひとりひとりの顔を見ずに過ごせるわけやし。
最近の「どうでもいい」と思ってる心情の一つではありますね。
嫌われたくない って強く思ってるのはあるので、つい無理しちゃうことがよくあるんですけど、
仮に、嫌われていたとしても、攻撃したり口撃したりしてこなければいいや というか。
業務上の適切な連絡や報告をニュートラルな感情でやり取り出来ればそれでいいのでは というか。
つか、そんな好きとか嫌いとかどうでもいいんです。
適切に円滑に物事が進められるならそれでいい。
それぞれ自分の人生が第一。
色んな都合があるけどその都合を押し付けたり願ったりするけど、それを反故にするのも自由ですもの。
責任を背負ってもいいし、頑張ってもいいし、
全てを投げ捨ててもいいし、
いざとなったら消えればいいだけ。
残された人の痛みは~? とかあるけど、それはどっちを主観に捉えて? どっちを受け手に捉えて 誰の為とすればいいのか。
結局自分の人生ですもの。
ルールとか常識とかあるけど、効果が無い人には無いし。
好きに生きればいい とはいえ、自分の価値観で他人を殴るのが好きな人もみえる。
『好き』に一切関与する必要もない。
『好き』にこだわってもいい。
どうでもいい。
でも、全てをどうでもいい とする必要もない。
いずれかにこだわる必要もない。
手のひら返ししたり、棚上げする人も普通にいるし。
それも含めてどうでもいい。どっちでもいい。