私の中高時代(キリスト教系の学校)の恩師が「神は乗り越えられない試練はお与えにならない。ということは、乗り越えられない試練はそれは試練ではなく厄災だから逃げていいし早く逃げろ」と言ってくれて、今の私がある
— 七遊 (@oz7uu) 2021年8月11日
オリンピックの時期に、日本は無宗教で八百万の神々があるということだけど、『神』を信じてる感じがある みたいな文章を見た 気がした。
(あやふや)
何を信じているのか は、言葉の端々や習慣に顕れたりすると思うんだけど、所謂海外の人に対して自分が思うようなわかりやすい『神』みたいなものは無いはずなのに、
無意識にというか、勝手に信じ込まされているような価値観に囚われてるような感じがありますよね。
(あやふや)
たとえば、おにぎりを故意に落として踏むような真似は出来ない ってのも、どこかからくる価値観が在るものですからね。
(あやふや)
一般の人が『神様』に対して持ってる考え方なんてのもテキトーなものですからね。
参拝してお願いしたり、お客様は神様だろ と横柄になったり。
わざわざ試練などと都合のいい言葉を使って、災厄を持ってくるようなものを『神』などと言う必要は無い。
横柄な神様にヘーコラする必要は無い。
実際に殺すのはアレですので、そんな概念を殺すつもりで。というね。
立ち向かうことが是とされることが多いですけど、逃げることもアリですし、無視することもアリです。
何年か前に私 自分の作品で神を自称するキャラを殺す画を描いてるので、そこで一つスッキリしてるのもあります。
(あと どうでもいい話ですが、私、神は『いる』というよりも『在る』という感覚なので、あまりに主張の強い存在には辟易しますね。)