藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“「だって現実は差別してるもん」”

 

note.com

b.hatena.ne.jp

 

news.yahoo.co.jp

b.hatena.ne.jp

 

一部のブコメにあるように、確かに直接本人と話してもいない、見てもいないのに、そのようである としてしまうのは危険とも言えるし、
けど、批判する対象への恐れや嫌悪がある というのも あり得る視点だとも私も思うし。

 

(過去に、いじめなどを受けたことを繰り返し言っていた という発言から推察するに~ ですけど。あくまで推察。)

 

これは私がカウンセリング受けたときに、カウンセラーさんが話したことなので、『ホームレス』という言葉が見事に今回のこととはまったので思い出しましたね。

ちなみに私はそのカウンセラーさんにカウンセリングを受けたときに、別にそこでメンタル的に良くはなっていません。

 

 

 

誰にも等しく『人権』は在って。
経済的に困ったり、暴力的な人が近くにいたりして困ったときには、本人の努力とか、頑張りとか関係なく、救われる べき というのが社会保障 とか聞くけれど、

政治や社会などの仕組みで救われることというよりか、その中の人の頑張りのお陰でどうにかなっていることもあって、
結局 責任感の強い誰かが、思いの強い誰かが無理をしてくれて、規定以上の動きを見せてくれるお陰でどうにかなっていることもあったり。

…ていうか、時短営業とか休業要請とかしていて補償なし ってご時世なのに、その事業者の当面の生活とか収入については、事業者本人の努力と工夫で、それを素晴らしいとしている時点で、
社会の仕組み では救ってくれない って話ですよね。

 

頑張っているか いないか で、命の価値づけの基準をしている というくだりにも繋がる部分ですし。

 

上に記事を張った抱樸さんのnoteの問題点としている『1~5』について、YouTubeで発言をした彼だけではなく、既に社会がそのような認識が浸透してると思うんですよ。


『5』にも繋がる、生活に困ったときに『無敵の人』になる可能性も、「わかる」って思います。


個人の問題 だと言いたい気持ちにさせるのも、
「ツラかったときに助けてくれなかったじゃないか!」って思いが、ずーっと『底』にあるんですよ。
…や、あの人のことというよりか、私が ですけど。

だから、あの人のように言いたい気持ちにもなるんですよ。

推察される背景に勝手に共感を寄せてるだけなので、的外れかもしれないけど。



あとに張ったほうの原田さんの記事じゃないですけど、
なんでそれが言いたかったのか という、その背景の方が、やっぱり気になるんですよね。的外れかもしれないことは承知上で。

 

発言自体の問題の問題点ばかりを挙げても、
「だって現実はそうじゃないもん!」
「誰も助けてくれないもん!」
「むかしぼくがとても悲しかったときに助けてくれなかったもん!」
「東京で感染してもトリアージされるんでしょ? 偉い人とかスポーツのすごい人はすぐに助けるのに、なんもしてない普通の人は入院できないんでしょ? すごくしんどい人だと思ってくれなきゃ助けてくれないんでしょ? 命は平等じゃないじゃん!」

って、子供みたいな、だって~ を繰り返しながら、強い諦観を、冷静淡々と「私は現実を知っていますよ」と難しい言葉を並べながら、強がるしかなかった感情が。




本当に命が等しく大事なら、そうだという現実を見せてくれなきゃ。いつまでも「だって」「だって」と、自分でどうにか頑張って、頑張ってないやつを見捨てたい気持ちにさせますよね。