バカなりに噴き出させようとした人生最後の憎悪と暴走がツイッターのアルファとかに雑に消費されるおかずになって終わるの、殺人を犯すべきではないじゅうぶんな理由になるくらい気持ち悪くてよい。
— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2021年8月7日
自分にしか分からない怨みつらみや因果関係が消え去ったまま雑にまとめられ、マスコミの草埋め記事にされて有象無象に失笑されたりツイッターで的外れな共感をされたりするんだ。自分の尊厳を最後までゴミのように扱ったな。
— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2021年8月7日
世界や他者に対する解像度が低いと憎悪さえもあやふやになり、自分が後生大事に抱えているはずのつらい記憶さえ毀損してなんだか分からないものにしてしまうの、本当に惨めな感じがする。
— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2021年8月8日
憎悪というのは抱えてる本人にすら不愉快な感情でどうしても粗雑に扱ってしまうが、見方を変えればポジティブな感情よりよほど「自分だけの」プリミティブなものであり愛すべき自己の一部なので少しは磨いてやるべきだ。濁らせるべきではない。
— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2021年8月8日
死んだりしても、わかりやすい復讐をしたとしても、たぶん憎しみは消えないし、憎しみは理解されない。
勝手に鋳型に嵌められて消費されてしまう。
そもそも、現時点で普通に『人は分かり合えない』と思っているのに、復讐を遂げたからといって、その憎しみが理解され得るものだろうか。
自殺なんてしてみても尚更、仮に遺書を遺したとしても、勝手に汲み取られて真意なんて伝わらない。
伝わらない。
容易に、安易に積もった感情を衝動的にぶつけるなんてことはしてはいけない。
沈殿された憎悪や怨念を抱えて未練を遺して容易に決行なんてできない。
昇華の仕方をもっと利口に考えるんだ。
簡単に死ぬだの殺すだのやってはいけない。
勿体ない。
表出の方法をもっと研磨していこう。
純粋な思いを先鋭化させていこう。