藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“転がる石”

人は未熟なものだからしょうがない とはいえ、その未熟さを不条理にぶつけて自分だけは許されたい など言うのは傲慢だよ。


基本的に私は八方美人なところもあるので、なるべく均等に優しさは配るつもりでやってますけど、どうでもいいじゃないですか。
どうせその場だけの縁でしょう。

永続するワケでもないし、いずれは死にます。

順当にいけば、私より老いてるものが先に死んで、私より若い人は私が死んだあとも生きるだけ。
そうじゃなくても、別にあまりに不快で耐えれない、…いくら私が我慢をずっとしてるとはいえ、それが限界にきたら その場からとっとと離れればいいだけ。
執着なんてしなくていい。


どうせ勝手に色んなこと言って、他人の人生も創作の物語のように消費されていくだけ。
あの人の美醜も、結婚の可否も子供のいるいないも、『自分の常識』と照らし合わせて、「あり得ないわ~ww」と言ってケラケラ笑いたいだけ。


勝手な都合、勝手に人をコントロールしたくて、その都合の押し売りをして、
うまくいかないと当たり散らしてぶつけて。

お忙しい限りです。


けど、別に、いずれ道は違えるもの。

自分語りの中でテキトーに済んでいくし。




どうでもいいのでしょう? 他人の存在なんて。
どっちみち1人でやっていくんだ。
どんな困難、どんな苦境だったとして、自分で自分を癒してやっていくしかない。
最近流行りの自宅療養でしょや。




そんなに人は大事にされてないし、
命は重要じゃないし、
他人の人生は物語として消費されるし、

自分はそうはならないぞ と言いながらもきっとそうなって往く。
自分を守る処世術の一つとして、誰かを『消費』していく。

均等な優しさ。

でも、均等で計られるということは実際は差異があって、なにかの水準をもとに選んでる。し、
均等に与えられたものでは救えないものもある。

でも、そこまで余裕はない。

勝手に零れて、朽ちて、
しょうがないね。って、
そんで数日経ったら忘れるから大丈夫だよ。

何が大丈夫か知らんけど、忘れるくらいのものなら大したことないから大丈夫なんでしょ。
他人の人生だし。