悪口の中においては、つねに言われてる方が主役であり、言ってる方は脇役であるという宿命がある。
— 寺山修司bot (@terayama_bot) 2021年3月11日
はい。
知人宅に招かれた時他のお客様と一緒にテーブルを囲んで話していた。「私の妹が」「誰それの旦那さんが」と噂話が続いた後、ドイツ人の小柄な女性が「ねえ、今此処に居ない人の話をするの止めない?私はあなたたち自身のことが知りたいわ」とパッと空気を変えてくれた。空気清浄機のようだった。
— 裕木奈江 🧅 NAE YUUKI (@nae_auth) 2018年3月11日
私自身が他人に侵されてるところがあるので、なかなか耳の痛い話です。
悪口を言いたいときに話題に上がっているのは嫌いな誰かの話で、そいつが主人公の人生になってしまって 自分が脇に据えられてしまってるワケですからね。
誰それが常識的ではない。「あの人、普通ならこうするのが当たり前やろ」と言っている自分が、あの人とか常識に縛られてたり。
それで明確な不利益や迷惑があれば、話は少し違う部分もあるのですが。
不快に思う話に関しては、受け手の人によりけりなところもありますからね。
だからって、そうして不快に思うのは自分の所為だ とか、自分の責めに使ったり、相手の責めに使うのはまた違う話ですけど。
ま、あれですよ
他人なんてどうでもいいですよ。(飛躍)
や、ほんとね、迷惑かけてきたり、暴力的な言動をぶつけてこなければどうでもいいです。