藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“その考えを、意見を抱くに至ったもの、とは、”

 

 

すっかり怨念に囚われてしまってる私は 考えの基本の中に、『他人から高圧的に言われたこと』があるので、そこで強いられたことの反発が元になってしまっていたりするもので。


何故この人はこういう反応をするのか、
何故この人はこの話題に関して烈火の如く怒りを露わにして大きな声をぶつけるのか。

もちろん、推察できる事情はわかってるつもりで、
だけど、その事情が何であるかを 察して明かしてしまっては反発を招く。

だから、その人に対して、おそらくそのような価値観や事情や理由が根底にあった上でそのような反応を示してくるんだろうな …ということまで察して、そこを考慮して話しかけないと、勝手に気分を害されてお怒りになられる。
……なんでそこまで配慮せなあかんねん思うけどな。

『心』勉強したんでしょ?
私より社会経験豊富でしょ?
私より年上でしょ?
……全然そんなもん頼りにならない。


どうしてすぐに反応してしまうのか。
すぐに防御しないといけない、攻撃というカタチで防御をしないといけない理由があるのか。
大きな主語で括る理由をつけることで、安心する為なのか。


考え方に、自分の中での 正当性 を付ける為。


「これだから~」「やっぱり~」と。

「意見のすり合わせをしたい」などと言いながら、激昂という拒絶を使うことで、ご自身の中を踏み込ませないよう、既存の価値観、自分の感じてきた理由を使い、強い感情を他者に浴びせることで守る。

「意見のすり合わせをしたい」などと言いながら、『断絶』を使っている。



逆に言えば、それほど自分に自信があるからなのでしょうが。
『実は知らない』ということへの自信があるから。




私がこうやってグダグダと書いているのも、実は他者のことなど知らずに、
受けてきた『反応』のもとに解釈して、この考えに至っただけ。

相互理解など、分かり合う為に察し、推察し、慮りしてきてはいたものの、激昂されると私が閉じてしまう為、それ以上関わることをしたくなくなる為。

言ってしまえば根幹の、反応は同じ ではある。
激昂されると、強い感情を使われると、私は恐怖で脅えて閉ざしてしまい、『対話』や『理解』には進めなくなってしまう。

……これを伝えたら、あなたは差し出す感情を、意見の表し方を、変えてくれますか?