で、
前者の増田に対して共感すると、後者の増田の方は自分の気持ちが毀損された気持ちになるし。
後者の増田に共感すると、前者に共感していたコメントが寒々しく感じてしまったり。
共感を容易に寄せてしまいがちになって、誰に対しても「わかる~」ってなると、
ほんとにわかってくれてるのかな?? ってなるというか。
同じ人(媒体)に、全く異なる方向の、それこそ相対する側からの悩みや苦しみが寄せられた場合、自分じゃないほうの共感を聞いてしまったりすると、自分の気持ちがないがしろにされたように感じてしまうんですよ。
その悩みや苦しみは、個人のものなので、その個人に向ける解決策というのはオリジナルなものでしか無いんですけど、ゆえにその策が、相対する者にとっては鋭利な 悩みをより深くするものにもなって、反対側の立場にいるほうにしてみたら愕然とするものですよね。
「わかる~」って。
ほんとにわかってくれてるんだろうか と。
と、いうのがあるので、あまり共感を求めるものとか どうなんだろうな って思ってしまいますね。
というか、異なる立場の人にとっては、悩みとか苦しみなんて理解し難いものですからね。
連日同じこと書いてますけど、価値観の違う人にとっては、もう話は通じない。
異なる立場の人どうしが、お互いを理解し歩み寄る というのは 無理。
あくまで「私はこう思った」というだけ。
で、理解し得ないものがあるのかー ということを理解するにとどまるもので。
わからないことがわかった というだけ。
ただ、
理解し得ないものどうしが、迷惑や我慢を与える関係にお互いなっていると、結局は相容れない環境下で知らないところで文句を言って終わりになるんでしょうかね。
双方が歩み寄るなどという解決策は 無い ですよね。
我慢や迷惑を被るのを 妥協 するということでしか。
そこで妥協もしたくない 我慢は毒だ ともなるとねぇ。