藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“復讐の作法。”

 

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言われた言葉は忘れないし、怨念は消えないんですよ。
憎しみは憎しみしか生まない。それは繰り返してしまう。
勝手に主語を大きくして、勝手に似たものに関連付けて、攻撃してしまいがち。


私はどうしても、自分が死ぬことで、自分がめちゃくちゃになること、圧倒的に不幸で、苦痛であることを見せることで、見せつけることで、復讐を果たしたい気持ちがあって、
産まれてきたことは間違いだったと、
私なんかに関わってしまったことがいけないことだったんだ と。
煉獄の炎に灼かれながら、焼け跡に黒い滲みを残して消えないように。
鮮烈に。

…という、とても陰湿な考えがあって。

先日、近くのご婦人方が、
「あのおじさん、小学生の頃にいじめてきた人を今でも覚えてるんだって」
「自分で 執念深い って言ってたもんね」
って話をされてて。


まぁ、私もご多分に漏れずとても執念深いもので、小学生の頃にイヤなこと言ってきた人は覚えてますよ。
中学生の頃も、それ以降も、



で、


何度もブログで繰り返してるけど、私は怨念が強いし、復讐の念も強い。
で、
復讐の意味の無さも分かってる。

やられたことをやり返しても意味が無い。
たとえあいつが、これまで受けてきたことの憂さ晴らしの為に私を使ったからといって、私がそいつに / 誰かに復讐をしても意味が無い。


の、
で、
リンク先記事のように、先ずは自分で自分を褒めること という。

『正しい復讐は自分が幸せに生きること』
というのはよく聞く話ではあるんですけど、私は捻じれまくってるし、陰湿だし、陰惨ですからね。
『幸せ』ってよく分からないところがありますからね。

ひねくれも度が過ぎると「てめぇが苦しみ続けることが俺の幸せだ」とも考えてしまうもので。

けど、もうね、切り離していかないとね。
干渉しないように、関わらないようにしていかないとね。
他人の感情を私に入れない。

私が囚われてるほうがイヤだわ。(前も書いたな)


ほんと、小さなことでも私を褒めて、私を労っていくことだわ。

最近それで感じたことは、私がイヤな環境から手順を無視して逃げることが出来たことを思い出したときに、「よくやったな~…」って思いましたね。

よく逃げられたよね。
うまく関わらないようにかわしていけたよ。

このブログも105日連続更新ですって。
よくやってるよ私。

リゼロでレムがスバルに対して細かく褒めてくれたような感じで、私も細かくたくさん自分を褒めるで。
(ま、ほんとはレムみたいな子が近くに欲しいな というのはありますが)(←