藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“呪詛と滞留”

 

思い出しますね。
折に触れて思い出してしまうようになってしまいました。
私は呪いにかかってしまいました。

 

と、昨日書きましたけど、

shiitakeofficial.com

 

『呪いっていくつも種類があります。知らず知らずのうちに相手を操作するというのも呪いだし、相手の活力を奪っていくのも呪いですね。ネットなんかでも溢れていますね。「お前なんかつまんないんだ!」とか言うのもやっぱり呪いの一種だと思うし。

呪いの目的って、相手の行動の自由を奪っていったり、あと、相手の力とか活力を鈍らせて、本来のその人の力を発揮させないことにあります。』

(上記リンク先より無料部分を引用) 

 

本来のパフォーマンスを発揮できない というか、萎縮してしまう感じというか。

 

私はずっと『呪い』について書いてますけど、そもそも私が呪いにかかってるんですよ。
呪詛返しをしたい という言い訳でもありますよ?

なんていうか、子供の頃から言われてきた言葉としての、
「あんたはダメだ」
「かわいくない子だ」
って言葉と同様に、刻まれてしまうもの。

本来はそれを解呪するべきところだったんだけど、これまた勝手な価値観や思い込みを持ってる人にぶん殴られて『呪い』を受けてしまった。
しかし、元来私が『呪い』を使いたい意思もあった というのもあります。


私はその場で言い返したり、やり返したりしない。出来ない。
あとから、時間を置いて、あのとき言われて返せなかったことがモヤモヤが残ってたり、言われたことの矛盾が湧いてきたりする。
や、どっちみち、その場そのときであったとしても、相手が自分より強い人だったら言い返せないんだけどね。自分より圧のある人だったり、感情をぶつけることに慣れてる人だったらね。
老若男女問わず、強い感情をぶつけることに慣れた人には敵わない。

で、
そういう人は言ったらスッキリされてるんでしょうけど、私はそうじゃないから、や、言ったとしても強く返されることが怖くて、怯んでしまって返せない。
その感情が残る。

それが『呪い』になる。

それこそ昔、小学校やら中学校やらで “強いていた人” からぶつけられた『呪い』が残ってるから、
私も相手に生き地獄を味わわせたくなるべく呪いたくなってしまう。



私に強い感情をぶつけて、人をこわい生き物だと、怯えてまう対象だと刻み付けた人を、刻んできた人を、

呪いをかけた人に類推する人を呪い殺す。
呪い殺す というかしっかり生きて苦しんでほしい って思いますね。










……思ってしまうんですよねぇ。
よくないんですけどねぇ。

そうやって粗暴を振りまく人にうっかり関わってしまうたびにそう思ってしまうんですよねぇ。
だからもう離れるしかないんですけど、無配慮で鈍感な人というのはどうしようもないから、どんどん独りでどうにかするしかない。
『この人はそういう人なんだ』と思って関わらないようにするしかない。

とはいえ私も陰湿なもので、喋らずにネチネチ思ってるところもあるし。
や、『言っても無駄だ』って思いが残ってるからなんだけど。

言えば癒えるものですか? 卑しい感情が?
勝手に強い感情を自己都合でぶつけてくるような、クソみたいなアイツみたいになることを私に許可すればいいんですかね??
他者状況を慮ることなく、私の勝手を一方的にぶつけて、無配慮を振る舞うことを私が許せば他人を許せるんですかね。

私が憎んでるクソみたいなヤツのように、誰かを威圧しても許してくれますかね??
正当な理由という勝手な都合を付けて。


無関係な誰かに新たな『呪い』を与えてしまうことになりやしないかね??

新たなレッテル張りをしたり、価値観をぶつけたり、無関心を掲げて見捨てたり、山のてっぺんに居座って見下したり。
私が思う、イヤなやつ、イヤな言動を屠っても、許されますかね。



ま、
その言動をすることを私が私に許してみないと分からないところではあると思うんですけど。
『呪詛』を練り上げることとどっちが良いのかもわかりませんし、その二択しかないのか ってのも分かりませんけどね。
ただ、このままでは私の中に『呪い』が残り続けるから良いワケでは無いしな。