藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“おひとりさまの暮らし。”

kaigo.homes.co.jp

 

 

 

しかしまぁ、冒頭のヒロシさんのやつを読んで最初に思い出したのは、雨宮まみさんのことなんだけどね…。

家族のお世話になりたくない って思ってても 思いがけず旅立ちが訪れてしまうと… ってのは考えてしまうことで。
1人の家で、家で突然死んでしまうと警察が入るし、特殊清掃が入るし、家族が / 血縁関係のある人が健在で責任を取れる人がいたら葬儀も家族が上げることになる可能性が高いんですものね。


なんですけど、だからって自分の面倒を見てもらう為に誰かに居てもらう必要がある というのも失礼な話ですよね。
このへん、ずっと言ってるけど、なんでもかんでも『家族』に役割を求め過ぎ ってのはあるよね。
配偶者じゃないと与えられない権利 ってのもあるらしいね?
だから同性同士でシェアハウスしてても緊急のときには立ち会えないものもある っていうよね。
社会で個人を支え合う包括的な仕組みでもあればいいんでしょうけど、社会 ってのも昔ながらの『ムラ』みたいなもので、旧態依然とした価値観の圧力にやられると生きづらさもあるしで…。


……いきなり話逸れた感がすごいんですけど。。。



でも、極力 人と関わりたくない とは思うんですよ。
ヒロシさんの言うように「人に期待したくない」んですよ。
集団の価値観に気圧されて声の大きい人の社会に殺されたくないんですよ。
どれだけ殺されたと思ってるんですか。
「心を開けばいい」とか言いながら反射的に感情をぶつける人やら、
「心なんて開かなくていい」とか「人は変わらなくてもいい」と粗暴を肯定されたりね。
なんだかなぁ。


適当に共感を与えておけばだいたいの人間関係はなんとかなるんですけど、
『与えておいた方がいい共感』が分かってしまうと冷めるのもあるし。
その人に対してはこういう態度しておいた方がいいんだろうな とかね。
他者への尊重でスかねぇ。
要望に応えておけばいいんでしょうね。
社会的な役割とか、ジェンダー的な役割とか、求める価値観の役割を演じてあげれば激昂なさらずに満足されるんでしょうし。

別にいいんじゃないですかね。
無駄なことに構ってる時間も必要性もないですし。

なるべく1人でどうにかやっていけるように生きていけたらいいですね。
どうにもならないことは協力はしていくんでしょうけど、まぁそれも言葉通りの『協力関係』にとどまるものでね。

人はこわいいきものですからね。

他人という存在に対しての絶望とか諦観くらいは備えた上で人付き合いしていかないとね。
いつ断絶してもいいようにね。
断絶されたとしても。


ま、どうでもいいことですね。

www.youtube.com