藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“おぞましい欲望”

前日にあのような記事を書いておきながら ですけど、
私の中に当然、イヤな欲望があって。
別にそれは誰かからイヤなことをされたから とかそういうのではなく。

純然とした欲望で。それゆえに我ながら気持ち悪いもので。
それゆえにとてもキモい欲望で。

こんなもの、人に向けていいものではない。

なのに、そういう妄想をしてしまう。
おそろしい。
間違いなく とても人を深く傷つけるものだ。

これを実際に人に向けてしまったら、と想像して、すごく自己嫌悪になった。

自己嫌悪になるくらいなら自制できてるからいいじゃないか と。
それを自覚して自省できているのだからいいじゃないか と、
そうとも言えるけど、その自制心が保てないときがくるとしたら …というところまで考えてしまうと、ほとほとにイヤになる。




この欲望は叶ってはいけない。
叶えてはいけない。

この欲望を、粗雑な状態で他人に向けては決していけない。


だけどこの欲望は ある もので。
これは自覚していて。
ゆえに、あまりに抑え込んでしまうとその反動があるのでは という懸念もあって。


なので噛み砕いて、細かくして、もっとその欲の源泉を突き止めて。
その欲望を他人に粗暴にぶつけるようなことにならないように、自分の感情の本質を掴んで。
容易に、安易に、理解のある叶え方を努める必要があるのでは と思った。


この、自ら おぞましい と捉えた、この欲望は、
おぞましくなってしまったもの だと私は勝手に思っていて。

比較の中で劣等感を勝手に感じてしまってたものが由来であったり、
力の大きいものに抑えこまれていたことが溜まってしまってたからでもあったり、
ずっと 自主的な我慢を してしまっていたことが原因であったのかもしれないし、
…そうやって考えてはみるけど、所詮は推論に過ぎないのですが。


いずれにせよ、私の中には おぞましく肥大した欲望がある。
それを自覚してしまった。
『隠しているものはいずれバレる』とは言うけれど、バレるのはさておき、これを人に向けてはいけない。

この欲を、本能を、自覚して適切な取り扱いをすることを。
でなければ、ふとそれを人にぶつけてしまったときの傷跡と自責が重くのしかかってしまうので。