藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“100日後に死ぬ何某。”

あの鰐のやつは話題になってたのは知ってたけど 結局最後になってやっと元の漫画? を読んだんですけど、

日々を大事にすることを意識する って言っても、それ 鰐当事者本人は知らないんでしょ?

読者のこっち側が客観的に知ってるってだけでしょ? だから意識的には異なる気がするんですけどね。

さておき、

自分に置き換えたらどうなるか って話ですよね。そういうのを問うものですよね。

100日後に死ぬことが、自分自身で分かっていたら。
余命がわかっていたら。

それこそ先日までやっていた 朝ドラの『スカーレット』では、武志が宣告されてましたけど、そんな中、何も変わらない日を送ることが大事だと。
その、何も変わらない普通の日こそが特別なもの だとやってましたね。


また、最近、エロ漫画家のやながわ理央先生が亡くなられてしまったんですけど、

 (おねショタとか人妻ショタとか女装男子ものとかが上手い方でした。)

咳がずっと続いていたのにも関わらず、おそらく病院でちゃんと診てもらわなかったのかな(勝手な憶測ですが)なのか、悪化されてしまったと思うんですけど。

ずっと日常を重ねておられたと思うんですけど。




死ぬことが分かってたら行動を改めて最善を尽くすのか、変わらず日々を送るのか。

ま、今こうしている間にも、死 には近付いていってるんですけどね。
時間が勿体ないなー って思う気持ちもある反面、疲れてしまうと何もしないでボーっとしてる時間が無いと何もできないし。

時間をかけて何か成し遂げられたらなー って思うけど、日々を送ることに精一杯で、なかなか難儀だったりするし。
生きるか死ぬかみたいな話になってるけど、健康的に生活できる時間があってこそだから、生きてるだけでは意味ないしなー とかも思うんですが。


ま、メンタル的にはもう死んでるようなもので、全然自分の為に生きてる感じもしないんですよねぇ。日々怯えながらですし。

身体的にはほどほどに健康だと思うけど、メンタル的にアレな状態なので、ひたすら無為に過ごすのみだし、生活の為には働かないといけないし。
ほんとに健康な状態から絶命することが分かってるなら無茶なり貯金使い果たすなりしただろうけどなぁ。

ずっとチンタラ生きてるだけだしなぁ。
やりたいこと って言ってもなぁ。。。

いつか必ず死ぬんやし、やりたいことやらな とか思っても、結局はそう思ったときに影響受けた直後だけの短いモチベで、すぐに冷めてしまって、結局は後悔したまま終わるんじゃねぇかな って思ってしまいますが。


後悔して死ぬことを前提とした虚無 ですかねぇ。

 

 

 

 

 




ところでこのブログも毎日更新を続けて100日過ぎましたが、特に何もありません。

日記として毎日書いてるだけだとさすがになんの魅力もないですかね。
淡々と同じことを繰り返すだけではアクセス数上がりませんかね。

これじゃあ仮に電通の支えがあろうが、集英社の支えがあろうが、前作がNARUTOでも厳しいんでしょうかね。(←