藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“自己責任という責めからの解放”

なんでも起きたことは自己責任だとか自分で蒔いた種だとか言うけど、そうでもないですよ。
因果はあるし、無いし、

tohma666.hatenablog.com

 

他人を責めながら、一方的にキレながら、
「怒らせるアンタが悪い!」
とか、どないな理屈や それ。

人の所為にするのも自己責任ですかーー…??
自分の責任で以って、他人の所為にして、他人を罵倒する責務を果たす、て、
意味が分からない。





起きる現実を現象を、全て自分で背負う必要なんて無いのよ。

それに、つい反省してしまう、つい自分を責めてしまう人はそういう気質なものだし、
全く気にしない人はそれはそれでいるし。

太陽が東から昇るのを自分の力でどうにかなるでもない
楽しみにしてたお出掛けが雨になって流れてしまったのを 日頃の行いが悪いからだ と責める理由にも繋がらない



真面目に誠実に堅実に努力し研鑽すれば幸せかというとそうでもない。
誰かを罵倒したり不誠実なことをしたり、社会に反する行いをして それが楽しい人もいるし。


仕事が出来ないヤツを馬鹿にする一方で、仕事をキッチリし過ぎる人を「こんなん出来るワケねーよw」と馬鹿にしたりもする。
勝手なものだ。

けど、馬鹿にするのは楽しいもんね??
楽しさを得られるのなら、馬鹿にして見下すことで心の安寧を図れるなら、楽しさの為に侮蔑することも幸せになる主体的な選択ですものね。

で、そこに共感も求めればさらに安心が出来る。
そういう心の安寧を図る為の選択を採っているのは自己責任。

だからそれが良い悪いでも無い。




無意識に使ってる「これだから何々は~」って、
「だって~」「だから~」って、そうして決めつけたい因果があるものね。
それはそれで別に良いのよ。


自分が無意識的に発露してる言動をいちいち自分で客観視して反芻なんてしないから、そこで毎秒毎秒反省会なんてしなくても、気付くときは気付くし、気付かないときはそのまま流れていく。

勝手なことを言ってるのよ。
私もあなたもね。