藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“限られた人に頼って負担をかけてしまうこと、”

 

私は頼りたい、甘えたいんですよ。
私は私よりも『出来る人』が欲しいんですよ。
私は『すごい人』が欲しい。
人柄的に、柔和で優しい人がほしい。


………んですけど、その人に対しての負担を大きくかけてしまう懸念はある。
それを分かっていながらも、私はそういう人に頼ってしまう。

けど、私もどちらかというと、頼られがちな側面もあるので、あまりに頼られ過ぎるとイヤだな というのもある。



だからこういうときに、「非常識で無茶苦茶な人」っていう、理不尽で鈍感で無配慮な人とは関わりたくない と思うと同時に、羨ましいなぁ という皮肉的な感情もあるのです。
何の配慮もなく、自分の思ったものを、感情のままにぶつけて、自分の常識を価値観をぶつけて、他人の気持ちなど知ったことなく言いたいことやりたいことばかりするような人は、とても羨ましいなぁ と、皮肉も込めて言いたくなります。
私がそれをしたところで、それ以上に強い感情で覆い被せてきますからね。

だから『常識役』をやってるのもツラいなー って思いますね。
馬鹿でキチガイな人はいいですねー 無理解な人はいいですねー ってなります。

しかし私も、本音は頼りたい、甘えたい という気持ちがあるので、誰かしら人間性を見抜いて、尊敬できる人だ と、頼れる人だと判断したら、その人に対して甘えるでしょうし、ちょっと乱暴な態度を取ってしまう可能性もかなりあるんですよね。
粗暴な態度を取っても、「この人なら許してくれるだろう」って甘い考えで、私もその人の前ではキチガイになってみたい って思いますよね。

でも、その人もまた、私みたいに実は『常識役』をやってるだけかもしれなくて、本心ではキレてるかもしれませんし。

ロールモデルとして? 役割として? 芝居として? そういう発狂できる機会が適切に設けられたらいいんじゃないかな って思うんですけどね。
そうじゃないと、ガチで『非常識でめちゃくちゃな人』の大勝利過ぎて、その人の為にどうにかしなければいけないことがmustになってしまいかねない。
『常識的でまともな人』は『非常識でめちゃくちゃな人』に頼ることは 無い というのに。


『常識的でまともな人』をやってるのも大変なんですよ。
『常識的でまともな人』をやってるのはこれが最善だからやっているんですよ。少なくとも私は。
(しかし「ばぶばぶしたい」とか書いてる私が『常識的でまともな人』かどうかはあやしいところではあるがな。)