藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“ひとりひとりの生活”

昨日付けの記事で「お金ほしい」みたいなこと書いたワケなのですが、

なにかあったときに働けなくなってしまって それで収入が途絶えて、困窮してしまう っていうのは、あまりにも生活することがクソゲー過ぎるなと思うもので。

 

休業補償で、そこまで儲かっていなかったお店が 補償金が入ることで通常営業してたときよりも利益になってる って記事がありましたけど、みんな助かるならそれでいいのよね。

某国会議員が容易に入院するのも、「てめーも自宅療養で我慢しろ」じゃなくて、みんなしんどいときに適切な医療の措置が取られたらいいんですけどね。

(物理的にキャパが実際厳しいところがあるとは思いますが…)

 

 

働いていないとひたすら貯金が減っていく感覚、マジでつらいですからね。

 

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「働かないとやっていけないという思考に囚われてるからいけないんです。まずは身近な周りの人に頼りましょう。」

とかね、家族に寄生できる部分があるならいいんですけど、それ結局 家族みんな共倒れになる可能性もありますし。

 

以前から書いてると思いますが、あまりに家族とか世帯単位で括ってしまうと 外部からの助けが得られにくいとか、家族関係のしがらみに囚われて苦しんでる人が苦しいままとかありますし。

 

 

公的な、社会の支援って大切ですよ。

 

 

困ったときに一部の善意に頼り過ぎるのもよくないですので、

「気付いた人がやればいい」的な考えになってると絶対に偏るし 気付いた人だけ疲弊するし。

 

 

 

一部の善意に頼ることで、

「その人は誰かを助けることが幸せだと思ってるからそういう人に頼ればいい」

的なことを言ってる人もいましたけど、それはあまりにムシが良すぎる。

 

 

普段、助けてくれる人がちゃんと助かっててくれなきゃ困るんです。

その人が誰かを助けることが幸せだから だなんて、第三者の尺度で勝手にその人の幸せを決めつけて任せ過ぎてはいけないのよ。

 

ちゃんとそれぞれの求める幸せだったり、「助かる」感覚を得ていてくれなきゃいけないのよ。

それぞれ個人の「嬉しい」とか「楽しい」とか「安心」が ちゃんと感覚として得られていてほしいのね。

 

 

そういうのを、ほんとに 『心』が あ る の な ら、

『人』を大事にしてほしいな と切に願います。

 

 

 

 

 

 

(これまでブログで書いてきた、皮肉や怨念を下地にしていますが、その上で、働けなくて収入が途絶えた私の個人的な不安を込めて、大きく捉えて書いたつもり。)

(本音として、収入が途絶えても 月額で定期的に10万円ほしいなー という気持ちをも込めてます。)