接客業を辞めた人の話 pic.twitter.com/LeAuzxLB5J
— 接客金魚ちゃん (@sekkinchan) 2020年9月5日
「あの人は今もどこかの店員を泣かせているんだろうか しんでほしいと願われながら」ゾクッときて笑顔になった そうだよな 本人にとっては些細な事でも簡単に死は願われる
— たび (@mesotabi) 2020年9月6日
私もよく話しかけられやすいほうなので、応えるときは応えるのですが、なに言ってるかよくわかんねーやつもいらっしゃいますもので、そういうときは目を合わせずにスルーするのですが、それはそれでおかんむりになられたり、大きな音なりで自己アピールをなさったりされますので、是非とも逝去して頂けると有難いのですが と願うことはありますね。
ツイッター界隈でのクソリプに対してのリプであったり、ミュートやブロックにも通じることもあるかと思われますが。
些細なこと、当人にとっては善意であることが、相手にとっては苦痛極まりないこともございますもの。
それはまぁ別に私が被害者立場視点で物申せば良いというワケにも限らず、私がどなたかに迷惑をかけていて、「 んでくれ」と思われてることもありますでしょうし。
私が他人に「 ねよ」と思うことはあるんですから、そりゃ逆のこともあり得る次第ですのでね。
なるべく健全に、健康に在るためには関わらないほうがいい という人もいますのでね。
先日もこのツイートを張りましたけど、
若い頃「バカは●なないかな」みたいなことを言ってた時、賢い妻が「お前以下のバカがみんないなくなった世界ではおまえが最底辺のバカになるから生きるの大変だぞ」と目の覚める突っ込みを入れてくれて、以後その種の妄言はやめました。バカは今でもいやですけど「棲み分け」でいいです。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2020年9月7日
無配慮に、土足でパーソナルスペースに上がりこんでくる人もいらっしゃいますので、きっと文化が違うんですよ。
そういう人はしょうがない。合わない んですから。
家の中は靴を脱いでと言っているのに、家の中まで平然と靴のまま歩き回る人がいて、それを伝えてもどうにもならないときはあります。
「 ね」と呪い続けるのも大変ですよ、呪うこっちが囚われますもの。
距離を知ることも大事ですのでね。
私も気を付けます。