そもそも「聲の形」は監修がいて、それは「全国ろうあ連盟」という団体、ろう者の権利団体が監修してるんです。(私も属します)
— シ ン ハ ル コ (@tamalovepoaro) 2020年8月1日
細かい取材、エピソードの提供はその団体から齎されたもの。それはフィクション、か?
完結の仕方や感覚はとても当事者に沿ったものではなかったけれども。
(以下、このツイートのツリーがなかなか考えさせられるというか…)
昨日の記事で他人の感情に呑まれるのがイヤだ と書いてるのは、現状 呑まれているからで。
イヤなこと言ってきた人、イヤなことをする人を排除したいとしながらも、その人のことばかりを考えてしまう。
悪口を言ってきた人への、その対象への記憶を強くしてしまう。
避けるべきものなのに、避けたいものなのに、会いたくないのに、記憶から消したいのに、死んでほしいのに、その人のことを考えてしまう、思い出してしまう。
何か無関係な人からされたことを、過去イヤなことをして刻みつけてきた人に関連して思い出してしまう。
現状、イヤな人のことを、会っていないときにまで考えてしまう。
死んでほしいと考えながら、その人のことを考えてしまう。
思い出すだけで不快なのに、思い出してしまう。
記憶から消えてほしいのに、消えてほしいと願いながら何度も思い浮かべてしまう。
消えてほしいのに
死んでほしいのに
気にしないように としながらそのことを気にしてしまう。
離れたい、思い出しもしないところへ離れたい、
関連して思い出してしまうから誰とも関わりたくない、
誰もいらない 誰もいないところへ行きたい。