藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“わかり合うことは無理。(仮)”

 

 

「話し合えばわかるから!」ってのは だいたい地雷で。

話し合って わ か ら せ た い っていうか。

 

 

タイトル、“(仮)”  です。

 

断定しない表現ですよ。


わかってほしいこととかわかりたいこと って何かな、
なんでしょうね。

つか、本当に本質的に分かり合うってあり得ないんじゃあないですかね。

わかったフリですよね。


他人のこともわかったフリ。
わかったような気がするだけで。
『こう思われたい』とか『こう思われたらイヤだな』とかあるけど、そんなの分からない。



自分の本当の気持ちというものすらも本当に分からないのに、なんとなく反応アンド反射で返してやり取りし合って。
私の思いなのか気持ちなのか得体の知れないものを投げ合う。

私が言いたいことなのか、この人に言っておいた方がいいことなのか言葉を与え合う。

 

齟齬が生じたときに、
「この人とはわかり合えない」
とかって思うけど、齟齬が生じてないなら、会話のやりとりをしてたときに、特に問題が無いのなら、別にそれは、
わかり合っていなかったとしても不足ではない
のではないかなと。


汚い状態は気になるけど、キレイな状態は気に掛けないような。
生活していて困ることがなければ。


そもそも全部わかりたいか?
最低限、「これをされるのはイヤ」というポイントくらいで。
わかっておきたい “部分” 、わかってほしい “部分” だけ、“知っておく” という、程度 で。

関わる人に知らない部分があっても特に困らないならそれでいい。

関わる人と齟齬が生じたときに、それでも関わり続けたいのなら、その部分では分かり合う努力は、努めてみてもいいのかもしれないけどね。
別にあらゆる方向に無差別に『わかってほしい』の刃物を振り回すワケじゃあるまいし。



基本は、わかり合えない …かもしれないね。

けど、関わる部分で 特に不足が無いなら、不満じゃなければ、気にしなくても。



前にDEZERTのライブに行ったときに千秋が曲の間に、
「誰も信じるな! 誰も信じるな!!」
って言ってて。
聞いてる私は「いや、信じてみてもよくね」って思うのよ。

でもこれ、逆に、
「人は信じよう! 人を信じることは大事だ!!」
って言われてたら、「はぁ!!????」って思うのよ。


「絶対に人はわかり合える生き物だ!」
「話せば分かるから!!」
って言われると、信用ならんのよ。

双方の正当性を主張し合って、対立して。
自分の正当性を通して屈服させたとしても、それはその場だけスッキリするだけで遺恨が残る。

私はそうは思わないけど、相手はそう思うんやからそうなんだろうな って部分もあるし。
でも、私はこの部分はどうしても無理だから ってのがあれば譲歩したり。


それはわかり合う っつーか、わかち合う っつーか。
折衷案。

 

 

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fujipon.hatenadiary.com

 

 

 

なんでもそりゃ理解できたらいいな って思うこともあるし。
共感が嬉しいときもあるし。

まぁでも屈服させたい気持ちもわかるし。
押し通したいときもあるし。

わからんもんはわからんもんもあるし。

わかりたくないものもあるし。

遺恨も残るし、怨念は続くし。

距離感と部分の組み合わせで あーだこーだやっていくんですよ。