藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“----new ache----”

傷を癒すつもりが傷が抉られてしまった。
人の気持ちを尊重してくれる、『安全な場』だと提供されていた場所で私は『不信』を感じた。

思ったことは、
「人は私が想定するより外のところから因果を持ってきて、勝手に難癖を付け、怒りをぶつけてくる」
ということ。これを理解した。

自分に見に覚えなくても、勝手に被害者感情をぶつけてくる。

おそろしい。
人はこわい。
特に理由なく、理由を教えてくれるハズもなく、私が理解できるハズもなく、勝手に怒りを、攻撃をぶつけてくる人が存在する ということが分かった。

もう無理だ。
無理。
人とは関われない。



自己開示とか心を開くとかもはや意味がわからない。
そもそも自己開示が必要ないとまで言われてしまった。
即時反応した、それ自体が、その人そのもの。
深淵とか要らない。

目の前に映ったそれが、私にとっての真実。

こいつ心を開いてねーな って感じたことがあったとしても、それは私視点から他者に向けてそう感じただけで、他者はそれでも心を開いていたのかもしれない。
それは私には理解できないことだから。


だから意識して心を開くだの閉じるだの、自己開示するだの秘匿にするだの、そんなのはどうでもいい。
零れて見えている、その目の前のそれが大事。


トラウマを解消しようと思ったら新たな固定観念を植え付けられたと感じた。
それが私の感じた真実。

そんな勝手に攻撃してくるような人が誰かを救うだとか?
そしてその場に居た多くの人たちもそれを受容して?

正気か?


まぁ、いい。もう知らない他人の話だ。


ただ、
いつまでもその傷跡を大事にはしていたくない気持ちもある。
怨念はずっとある。
ずっとあるのだけど、傷はそんな簡単に癒えてくれないんだけど、いつまでもその傷の所為で歩けないなどと言っていたくは無い。


そいつに、その環境に、怨みをぶつけても、癒してくれと求めるのもお門違い。
やれらたやつから “取り返そう” などというのはあまりにも執着が過ぎる。


新しい傷は切り落とす為に。

患部は切除し、痛みから距離を置く為の、新しい傷。