藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“こわいものはこわい。”

アニメ、『フルーツバスケット』を録画したのを見てて、1stシーズンクライマックスで、師匠が夾の猫憑きの封印の数珠を外したとこを見てて、

ま、異形な姿になって 悪臭を漂わせるバケモノになる ってやつですけど。

 

 

やはり 優しい人だから 親しい相手だからこそ 醜い部分は見せたくないよな って思いますよね。

mooth1006u3.hatenablog.com

それなりに仲良くなってから、自分が隠したい 醜いと思ってたとこを見せるというのは抵抗あるよな って。

 

関係ないならさっさと嫌って離れてくれたらいいもんな。

でも 少しずつ人となりを知ってくると、嫌われたくないし、イヤな思いをさせたくないから、自分で知られたくないと思ってる部分は見せたくない。

 

 

 

なんで見せたくないか、知られたくないか、なんで自分で醜いと判断してしまうか っていうと、これまで自分が在ることによって知った、一般論や周りの反応から、

これはダメなんだ。

これは嫌われることなんだ。って 学習してしまったもので。

 

 

フルバ見てて、

「こわい気持ちがあるのに それを愛情で誤魔化さないでくれよ」

ってセリフ良いすな って思って。

 

こわいものはこわいもんなー。

こわいから抵抗したい。

こわいから避けたい。

 

で、

こわい気持ちはあるけど ってのが本編で触れられた部分なんでしょうけどね。



なんかもぉ、こわいものはこわい っていうのでいいわ って思ってて。
立ち向かう必要もないし、どうにかする必要もないし、こわい気持ちを誤魔化したりしなくていいし。

それが過去になにかあったがゆえのものだと分かっていても、どうしようもないものもあるから別にいいや って。



私は火事がこわいんだけど、それが例えば 「貴方は過去生で火を付けられて死んだからです」 とか分かったところでどうしようもないやん。
仮にそれが原因だとして何の慰みにも解決にもならんやん。

例えばゴキブリがこわいからって言って本当に苦手な人に立ち向かわせたところで何の解決にもならん。
逆にトラウマが強くなるか、こわい気持ちを誤魔化す為か 逆上して周りの人に当たり散らすかもしれんし。
(こわい・恐れ がある為に、怒りで隠して誤魔化す っていう。)

未知とか脅威(自分を脅かすもの)っていうこわさは立ち向かおうとしたら 別の感情を使うからのぅ。
(前も書いたか)
(フルバでの「愛情で誤魔化さないでくれよ」にも通じると思うけど。)



ま、こわさにも質が違うし。
どうしても苦手とか どうしても合わないとか、襲ってくるもの(以前 襲ってきたもの)とか、自分に害なすものとか。“脅威” のほうと、
それと “未知” のものへのこわさ、どうなるかわからない とか、予期不安とかあるからね。

あと合わせ技もあるのかな。ゴキブリが苦手だけど殺そうとしたら飛んで襲ってくるかもしれない っていうような。
未知と脅威の合わせ技? けど、これは立ち向かおうとしたが故のおそれなのかな。
勇気を持って立ち向かおうとしたら反撃を喰らうかもしれない、放っておくよりもダメージを受けるかもしれないおそれ かな。
でも放っておいたら自分の知らないところでゴキブリがいることによる不安が大きくなるかもしれない とか。

存在してるだけで苦手なものを放置しておく不安。こわさ。
立ち向かったところで余計にダメージを喰らうかもしれない不安。




私が「こわい」って思ってるもの ってなんなんだろうなー って。
その こわさ が何か分からずに、こわさを恐れたり立ち向かったり別の感情で誤魔化したりすると、こわいものが何かよく分からんくなるな。

こわいものはこわい で取り敢えず、まぁ、それで。











余談。

『ごはんがこわい』って方言だよな。
カタいごはん って意味の。
今 ググったけど、赤飯を『おこわ』って言うの そこからなん?

こわい は かたい?











余談。

火野正平さんの『こころ旅』を見てて、正平さんは高所恐怖症らしく。
番組内で「若いときは良かったけど年とってからダメになった」って言ってて。
橋を渡るときにも、橋の端には行かなかったり、吊り橋とかが目的地近くにあるとへっぴり腰っぷりをあらわしておられて。
よくあるバラエティの圧のあるイジりじゃなくて、番組スタッフや #こころ旅 TL で微笑ましく高所恐怖症をイジられてて。本人も「おれぁダメなんだよ~(笑)」なんて言いながら、こわがる姿が可愛らしく受け容れられてる っていう。
(この秋も70歳の正平さんが自転車で走ってる姿が見られて嬉しいです。)