藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“虚無ニケーション。”

mooth1006u3.hatenablog.com

 

これを書き上げて、我ながらすごい虚無を感じたので。
あー、なんか前も書いた気がするんですよね、対人関係で必要な感情を場面に応じて出し入れしとけばだいたい大丈夫でしょ っていう。

だからって事象に対しての人に対しての反応アンド反応で、爆発感情ばかり表出させてるのも何か違いますよね。
っていうか、事象に対して反応パターンが決まってる っていうのもおかしな話ですね。

円滑の為に愛想笑いで情報を交換してうまいこと無難にやり取りするということと、あらゆる決まったことに反応して怒ったりするというの ってなんか同じな感じがしますね。


どこか、反応(リアクション)を欲しがる子供のようでありながらも、求める思いが作為的すぎてつまらないというか。


や、他者批判とかじゃなくて私の問題なんだけど、私にとっての純粋性が欲しいんですよね。
純粋性を取り戻したい とでも言うべきか。

反応を欲しがる子供なんだけど、それを求める思いを偽らないようにしたい? みたいな。
ただ話をしたいだけ、ただ話を聞いて欲しいだけ、ただ構って欲しいだけ。




この頃の、子供の純粋性に関しては何も生産的なものは生まないんですよ。
そういった意味では非生産的で虚無で、あってもなくてもいい、ただ駄々をこねているだけとも言えるんだけど、

生産性を求めて、情報交換を優位として、今後の利益や安全の為に円滑なコミュニケーションを取ろうとすることは、一見すれば前向きな プラスになることだけど、その内実は虚無だな って。
取り繕って、腹の内を探り合って、利益や安全ばかりを求めていくことが。


ま、それがダメってワケじゃないんだけどさ。
結局はバランスで。どっちかを取るだけでは成り立たないんでしょうよ。
私自身、“無” を冠した名前を付けてるので “無” を肯定もしておきたいもので。
一見、無駄と思えることであっても。


外ヅラの事情の他に、私情がハッキリしてる方が納得し易かったりするもの。
どれだけ自分の気持ちを汲み取っていけるか。それを表していけるか、
顕わにしていけるか。


相手さんの事情や都合も、私の都合も、一般的な正しさで繕わずにいれたら。
一般論で図らずに、自分の感情に気付いていくことから。