藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“愛想笑いをしてしまう。”

まぁ別に “愛想笑い” して し ま う ことを “ダメなこと” だと括ってしまうのはどうなんだとは思うんですけどね。
これは人間関係を無難に、円滑にやっていく為の処世術みたいなもので。
そうしてほどほどに適切な距離を取りながら無害感をアピールしてみるというか。

「私はあなたに不快を与えたりしませんよ」的な。


初対面の人を相手にするときとかもそうですね。なんの起伏もなく サラッとその時間が過ぎていけばいいように。

今回、自分で “愛想笑いし て し ま う ” ことが気になってしまったのは、それこそ “繕う” という気持ちが強いのかな なんて思って。
愛想笑いすることによって、気持ちがクサクサしてしまうときが少なからずあったのね。
愛想笑いすること自体が悪いワケでもない。
愛想笑いすることで気持ちを見せないように努めてるのが違和感あったというか。
でも、愛想笑いしてることは関係の円滑さの為に悪いことじゃない。

あぁそうそう、文字書いてても、“(笑)” 付けたり、“ww” ってわざと付けておくことで文章の印象を柔らかくすることもね。
twitterで実況してて草を生やしてるとかのガチで面白かったりするときは別にいいんですけどね。)
なんでしょうね、気遣い過多かな? って思うときとか、ですかね。



会話してて、
愛想笑いしとけば適当にその場がなんとかなるなら 取り敢えずテキトーにヘラヘラしておいて、内心では腹黒いことやら関係ないこと考えておくとしたら、
それは自分の本心の感情を侵さないまま、うまく適応出来てる といった感じにも出来るかもしれませんが。

誰かの悪口の共感を求められそうに話しかけられたときにも、「そうですね~(^ヮ^)」なんて愛想笑いしておきながら、『この人はあの人をそんな風に思ってるんだ。なるほど、じゃあその辺の話題はやめとこう。流しておこう。』って対策にできる とか。


自分の気持ちの本心を汲んだ上で、敢えて “愛想笑い” という施策を採っておくとしたら、それは私にとっての嘘のない処世術になるのかな。

って思うと、 “愛想笑い” も悪くないんでしょうね。


あ、今バラエティ番組見てて、テレビの中のタレントがたいして面白くないこと言ったのにわざわざ演出で笑いをかぶせる処理をしてるようなのが 聞いてて気持ち悪いな って感じたからですかね。
テレビ的な “処理” というか “処置” というか、そういうのが必要なんだろうな ってのは分かるけどあまりに嘘くさく感じたから、私が “愛想笑い” をイヤだと感じたのかもですね。


あくまでも私の中での嘘がなければ、 “愛想笑いし て し ま う ” のではなく、意思を持って “愛想笑い を 使 う ” というのはアリなのかも。なのかな。


何をどう思うか、感じるかは、受け手の主観の問題 だと思うので、相手が不快じゃなければいいし、仮に私が “愛想笑い” さ れ た としても、別に不快だと私が思わなければそれでいいのかも。かな。

で、不快に感じたとすれば、私も愛想笑いで応じればいいのかな。



( “ダメなこと。” みたいなカテゴリにしてみたけど、何がダメなんだろうかな。)




www.youtube.com