藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“なにかにつけて『自覚』すること”

それが『痛み』でもいいし、『欲望』でもいいけど、
自分で思ってることとか、願望の根幹みたいなものが『何か』ってのを、自分で分かっておく って大事ですよね。

嫉妬なら嫉妬でいいんですよ。
あいつムカつくならムカつくで、なんでムカつくかが分かっているかどうか とかね。

私は対外的に所謂『ちゃんとしてる』と思われがちですけど、別にそれは『怒られたくない』とか『ゴチャゴチャ言われたくない』とかそういうところが動機なので。
だけど、怒られたくないことを隠して必死になるよりも、怒られたくないことを自覚して取り組んだほうが感情に折り合いがつくんですよね。

『○○とか思われたらイヤだなぁ』とか思うけど、私も打算的なところがあるので、そう考えてるのなんて私だけだよ って、誰もそんなこと見てないかもしれないけど、
私はそうして『人からよく思われたいんだな』って思っておく。

開き直りとは違うんですけどね。

で、自己肯定感とかもさ、私は『自己肯定感が低い』と思ってるけど
『自己肯定感が低いことを自覚している』とも思ってるので、弱々しくてメンタル豆腐なことを分かっておくだけでも強みになるじゃないですか。
回避率上がるし。

「おれはすごい」だの「おれは最高だ」などと自分で自分を高めて「私は素晴らしい」などと自己暗示するようなアレもあるけど、
一般的な価値観の上での『素晴らしい』ことではなかったとしても、クズだろうが変態だろうがマジキチだろうが それを『そういうもんだ』と自覚できてれば『すごい』んじゃないですかね。
や、社会的な倫理観や道徳は必須ですけど、常識やルールや生活習慣から背きたいような、夜の校舎窓ガラスを割りまくるような願望があることを認めてはおいて、でも実際はやらない ってことを わかっておく っていう。


自分の本音や本意がどこにあるのか。
本当は○○したいのに って。
どうせあいつにこれを言っても分かるワケ無ぇだろうから。
言ったところで無駄だから言わねぇだけだけど、どうせ『反応』して怒るのが目に見えるから言ってあげないだけですよ(笑) みたいなことまで、『自覚』しておいて、言わない とかね。


本音を隠してること、腹黒いことを分かっておく上で、表層で一定の距離を保つ。
その距離を保つことも、『継続的な関係で在りたいから』なのか『さっさと切れても構わないから』なのかを わかっておく。

動機がどこにあるのか。
本心で言っているのか、本心を造って置くのか。

相手に / 誰かに、伝わらなくても / 伝えなくても、
自分だけがわかっていればいい。自分が自分を自覚して理解していれば それでいい。