藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『星が原あおまんじゅうの森 3巻』読了。”

『星が原あおまんじゅうの森 3巻』を読みました。

表紙がこれまでの緑と違って真っ赤。

科子さんが消えてしまうかもしれない、けど蒼一とともに一緒にいたい と思い、家に科子さんがお邪魔するも…。という巻。


科子さんの回想での、自然の精霊である自身が意思を持って人間の暮らしをよくしたいとか助けたいとか思う心が、慢心なんじゃないかと思わせられてしまうエピソードにはなんとももどかしいものが。。。
自然は自然物であるとともに、そのふるまいすらも自然でなければいけないのではないか という。

人間の暮らしが良くなるのも悪くなるのも自然のありさまであるというのか…、っていう葛藤。
1巻に森の成り立ちとして描かれた過去話にも共通する話でしたね。


うーん、自然物(植物)の精霊とか、物質の精霊とかあるけどどれも性質はバラバラなんですよねぇ。
手入れし・使ってもらうことの幸福とする物質でも、“暖炉”のようになってしまうコトもあるし、“ソファー”の考え方もあるし。
木々がイタズラすることも前巻とかであった、木単体での生きるかどうかよりも森として生かし合うように枝切ったりするかとか、その行為は不自然でもあって。特別に想いを傾けることは自然ではないからこそ反発…っていうか悪影響を及ぼすものもあったりで、
“自然”に対する偏った感情が、科子さんの回想で描かれたことであったり、野分が執拗に怨んでる理由にもなるんでしょうかねぇ。
忘れられるというのも自然な心の流れで それを阻むというのも違って。いつまでも居て、手入れし、生かしてほしいと願うのは傲慢ではないかという疑問すらも抱かずにただ怨み続ける。その怨み自体が生きる糧になるのもなぁ とも思うもので。

ソファーの淡々とした様子と科子さんの会話は良い雰囲気。

情があることは美しくもあるけど苦しくもあるから平等にはいられないものね。
そんな蒼一を『欲張り』だと称していたけど、けど一番は科子さんに向けられてるのがベースにあるからねぇ。

この巻で森に良い風の流れを送ってきた科子がいなくなったので、今後、回想シーンであった村みたいになってしまうのかどーか…。

星が原あおまんじゅうの森3 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)星が原あおまんじゅうの森3 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
(2012/10/05)
岩岡ヒサエ

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