藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“「甘え」と「依存」への嫌悪と、小さな憧れ。あと『合理化』への疑問符。”

人に「甘える」なんてよくないことだ。「依存」なんてしちゃいけない。

いい大人なんだから…、ちゃんと「自立」(「自律」も含む)しなきゃ。

……と。
強がる。

わざわざ、そうやって『甘え』や『依存』に対してのあからさまな嫌悪…っていうか、この拒否反応は逆に言うと本心ではその『甘え』や『依存』に執着したいんじゃないか。と。

過剰に評価を求めること。
評価に依存すること。
利益主義であること。
『役に立たない存在』じゃないといけない。じゃないとクソだ。…っていうのは、そうじゃないと自分の価値を立証できないから、っていう無理というか無茶をしてるような。
ほんとうは、なにも出来なくても、ただ存在するだけでも認められたいのに、褒められたいのに。
なにも無くても、ただ依りかかっていたいのに。っていう。


けど、それが過去赦されなかったからなのか、幼少の頃、その感情が満たされなかったからなのか、
だから大人になってもほんとうの感情である、『甘え』を表出できず、必要以上に自分を律してしまって、『甘えるなんていけない…!』となってしまう。ほんとうは「甘えたい」のに。

自分が不図したときに甘えることが出来るのは良いのだけど、他人が『甘え』や『依存』などの行動をとってたり、『構ってちゃん』がみられる言動を見たときに必要以上に糾弾してしまったりするのも、ただの嫉妬のような。“ほんとうは自分も甘えたかったのに。構ってほしいのに。”と。


前から何度か書いてることですが、
『私が本当に欲しいものはなんだろうか』と。
その欲望は、周りに流されて繕って作られた欲望なんじゃないか。と。そんなようなものを書いてきました。

そこで流される理由は、置いてきぼりになることへの恐れじゃないか。と予測。
で あるならば、そんな恐れをものともしないほどの愛情を得ることとか自尊心を満たすこととかのほうが本当に臨んでることなんじゃないのか?と。

欲望は合理化される。と言うそうです。
『甘え』や『要求』を素直に出せなくて、ついつい理屈っぽくなってしまう。

あまりにも混雑してる中、なかなか店員が客の相手をできなくて「少々お待ち下さい」と。
しかし、(断りを入れたり、たいした時間を待ってるワケじゃないにも関わらず)「こんなに待たせるだなんてダメだ。客を待たせるべきではない!」と激昂。
ほんとうは、「はやく私の相手をしてほしいのに。構ってほしいのに。」と思ってるのに、それが叶わなくてじれったくて。
だから もっともらしい理由を掲げて文句を言う。本当に望んでることを合理的に処してしまう。

こうしていつまでも満たされない。ほんとうに望んでることを。

欲しい商品が無い。それに対する文句も、『欲しい商品は揃ってるべきだ』という考え方。
乳飲み子がお腹が空いたときにすぐにおっぱいを飲まないと泣きじゃくるような。

赤ちゃんの話題が出たのでここで少し脱線しますが、
…どこかで読んだことですが、
子育てをするのに、ゆくゆくは育ったときに親離れしやすいようにと、幼少のころから複数の育ての親(ベビーシッターのような?けど、ベビーシッターは1人じゃなくてたくさん)に育ててもらうと。そしたら子ども自立しやすいんじゃないか、っていう。…また逆に育てるほうも、一人でみるワケじゃないから時間の都合がとりやすい。合理化ですよね。
けど、結果は自立どころか、どこか不安定な子どもに育ってしまう。っていうそういう実験をした事例があったそうな。
(ちなみにこれは、一人の親に育ててもらうことによって、親から『特別感』が欲しいから、というのが理由だそうな。だから2番目の子どもが生まれたときに1番目の子がちょっと不服な感じになるとかね。)

(で、さらに言うと、恋愛において、色んな女の子や、男の子に優しいんじゃなくて、特定の異性に優しくしたほうが距離が近くなる っていうのも結果 そういうコトで。誰かからの『特別な承認』が欲しいんですよ。)


100分de名著のパスカル・パンセの回にありましたけど、合理化というのは利益の最大化という。
利益を得てるのはこの場合、親側ですよね。
そして子どもを効率よく育てようとして、結果、非効率な人間になったと?(どんな皮肉だよ…。)
つまり、人間は利益では図れない。


(あぁ、もぉ、ほんと書いてて面白いな。…すべてが繋がるわ。。。)



利益至上主義に対しての疑問であったりとか、完璧主義を欲求・要求することへの疑問を持ってきたこと。これが繋がる。
“〜べき”っていう、“must”を要求するのは結局自分自身を満たすものの根幹を殆ど着目しないまま、大人の世界に入ってきてしまって、幼児期の満たされない感情を抱えたまま、
思い通りにいかないこと全てに“かんしゃく”を起こし続けてるようなもの。
その中で、たまたま高利益を出せるものが評価されてるだけで、そこに感情まで縛り付けて窮屈になってるだけに過ぎない。
だから利益を出すことや、『役に立たなければいけない』というコトに縛られて、そうでないもの…役に立たないものに対して批判的な感情を持つ。
…直接自身とは関係ないものに対しても…別に被害や迷惑を蒙ってるワケじゃなくとも、仮想敵を見つけたかのごとく糾弾する。


子どもの虐待とかもそう。結局、親側が満たされてないだけ。不都合だから虐待してるだけ。
結婚に疑問なのも『契約』にしか見えないのよ。『業務提携』にしか。
なんの契約かって『孤独の予防』。
簡単にくっついたり別れたりするやんね。…まぁ、近くに離婚されてるご婦人方多いんですけど…。
あと、「合わなければ離婚すればいいじゃん」ってさらっと言う人とかね。いや、別にいーけどさ。やっぱ『契約』だよなー、って思うのよ。
『孤独』や『収入』のバランスが合わなくなってきたら別れる。…そりゃ芸能人とか見てても、誰々がくっついただの離れただのそんなんばっかですからね。
『子ども』もそれは『契約』の材料。これがあれば結婚を出来る“手”として使えるから。とかね。

でも、そこで子どもが要るのは、ただ『孤独』を防ぐものと、自分が可愛がれるもの…自分がいなきゃ成り立たない存在を抱えることによって存在意義を満たそうとしてるだけなんじゃないかと。
これじゃあ理由が“外”にあるから変わらず“自身”は空虚なままでしょうし。
また、それでも自身の自由を侵されることは望んでないから、いつまでも泣き止まないと虐待したりする。
子どもが 親である自分の自由を侵害されることが不満で、それを排除しようとする。

子どもほっぽり出して、浮気したりするのは新しい、 自分が甘えられる環境があるから。
(あとは背徳感とか?)


集団で1人を追いやるイジメもそう。
ウソをついてまで優越感を感じたりする人。
暴力的にふるまう人、権威にしがみつく人。
これらも心理的に自分が弱いことを自覚してるからこそ(この『弱さ』をどこと比べての弱さなのかも自覚できないほどに)、いつまでも甘えた態度を取り続ける。

…ほんとうはそこでは無い。

ほんとうに『甘え』を満たさないといけない部分は別にあるのに。強がることで甘えている。

幼児期に満たされない感情。利益至上主義。完璧の要求。失敗への厳しい追及。失敗へのあまりにも大きな嫌悪。
…この、被害者感情にも似た、急き立てられる厳格なルールをいつまで課し続けるのか。


ほんとうは寛容されたいのに…。
『頼る』こと、
『依存』すること、
『甘える』こと。
これに素直になれたら。と。