藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『バクマン。 20巻』読了。”

バクマン。 20巻』を読みました。

最終巻。

19巻から続く亜豆の色々な問題(…?)に関しては、どうしても現実との比較を考えてしまうので煮え切らないとゆーかなんとゆーか……。
逆に言うと現実がみっともないのか…? それもよくわかりませんが。


交際報道があって、真っ向からファンが聞くとか、それを公開でやるとか、それを現実でやればいいんじゃないの? とも思ったり。余計な事務所とかの力関係とか一切無視して個人の良識内で正々堂々と。
まぁ、でも仮に個人の意見を発信しても、『自演乙』と取られるんでしょうかね。

公開オーディションによる結果についても、あまりにも漫画的結果すぎて…。
や、これが真っ当な、お約束ではありつつも。。。

こういう投票とかで、イナズマイレブンの五条みたいなコトになりかねやしなかったのかw とも思ったり。

うーん、これに関しては正直難しいです。



亜城木の漫画家サイドの話については、スパッと終わらせる っていうのはいいなぁ、と思いますけど。
ダラダラ続くよりも、いいトコで終わる っていうのは。ね。
(じゃあ今のジャンプ作品は、無理に引き伸ばしをせずに、作家さんが自らの意思で続けておられるんですよね。とも。)
ドラゴンボールがズルズル続いたの って、鳥嶋さんがアニメ関係との都合で続けさせたんじゃなかったっけ…?)
(このへんも所詮、外野にいるイチ読者には分からないことなんですけどね。)
幽遊白書は終わり方潔くてよかったけど。(それはまぁ、冨樫さんが…だけど。。。))

(なにより、今現在、ジャンプで看板背負ってる作品が、往年の…所謂、黄金期の作品の巻数よりも長くなってるのが、作品に対してとっつきにくくなってるような気がするんだけど……。ドラゴンボール42巻、スラムダンク31巻、幽遊白書19巻。)


『REVERSI』のラストはあれで良かったんですかね。スクランブル交差点で倒れてて終わり。っていうのは。『DEATH NOTE』みたいにそれぞれの後日談とか、達成されたあとのその後の世界〜…みたいな余韻はいいんでしょうか。
それは勿論、『バクマン。』本編にも言えることですが。。。

本来の亜豆と真城の目的が、真城の作品で亜豆がそのヒロイン声優をする。っていうことなので、それが達成されたからそれで終わり。っていうのはもっともなんですけどね。
う〜〜〜ん…、せめて作者のあとがきでもあれば良かったのかなー。
余韻というか、読者に考えさせる終わり方とか、これからも戦いは続く!とか、そういうのがねぇ。

そして性格・人格というものが連載開始時の中学生の14歳から本編最終話の24歳まで変わらずに在れるものなのだろうか。
(これまでのジャンプの長編作品としても、20巻の割に作中での年数が経ち過ぎてるのがネックというか。)
生物学的に細胞は入れ替わり続けるし、浴びる情報で思考も変わるハズなのだと思うけど…。生まれ持った気質は変わらないとはいえ…。

ハッピーエンドで良かったとは思います。
ただ 泥臭さと純粋さ、純粋ゆえの悪とか、純粋ゆえのギャグとか、そういうのの面白さが見たかった、面白かったので。

バクマン。 20 (ジャンプコミックス)バクマン。 20 (ジャンプコミックス)
(2012/07/04)
小畑 健

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穿った見方をすれば、『純粋ゆえのギャグ』は平丸さんパートに集約されてるから、平丸さんが道化っぽくてキャラ的にも愛されて面白かったのですが、その『シリアスなギャグ』というのはこうして終わってみれば、『バクマン。』自体がそうだったんじゃないか とさえ思いますけどね。なにより絵がギャグテイストというか。小畑先生がだいぶ崩して絵を描いておられるのが狙ってるとしたら。。。    その実直さが・純粋さが、『それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?』とも思えるようなね。)
(夢とか、目指すものへの実直さとか、熱血みたいなものは、『ヒカルの碁』のほうが熱が込められていたと思うので。)
うーん。。。