『THE DOG RACE 〜青山景初期作品集〜』を読みました。
夭折した俊才・青山景の初期衝動がここに…『SWWEEET』や『ストロボライト』といった作品で、人間が心の奥に秘めている衝動や欲望を描いてきた漫画家・青山景氏。そんな青山氏の月刊IKKI新人賞第一回受賞作でもあるデビュー作『茶番劇』やその後すぐに描かれた読み切り作品『ドリップ』、さらにはデビュー前の同人誌掲載作や投稿作、卒業制作として描かれた表題作などを一挙収録。2011年に急逝した青山氏が、一連の執筆活動の中でいったい何を描き出そうとしてきたのか…それをうかがい知ることの出来る、初期作品集。 (内容紹介より)
表題作の連作など、正直なところ読みづらいところはあります。
が、
これまでの氏の作品を割と初期から読んできてるものとしては(デビュー作の『茶番劇』から)、コマ割りなどの構成や、演出方法がずっと一つのカタチとなっているのが興味深かったです。
作中で劇をすることとかもね(連作“THE DOG RACE”や、“リリカチュア”に見られるような。“茶番劇”ではそれが4コマになってたり。)、
このブログでも、『ストロボライト』の感想や、『よいこの黙示録 1巻』の感想でも書いたように、どこか達観してるような。俯瞰の視点を持って作者さんは描いてるのかな? と思って読んでましたけど。
(まぁ、それも作者さんが急逝されてしまったことによって、果たしてほんとうに俯瞰で物事を捉えてらしたのか、疑問が残ることとなってしまいましたが。)
ヤクザが出てることなど、キャラクターの立ち位置、雰囲気が初期の篠房六郎先生っぽい(家政婦が黙殺)というか、コミカルですよね。
収録作で一番インパクトがあるのはやっぱり“リリカチュア”。
「……何かを終わらせるのに 理由ってそんなに必要?」
「生きることには 理由なんていらないのにね。」
結局、とびおりようとしてたコを、『本気で止める』ことによって、そのコは思いとどまったワケですが。
理由が無いからこそ どちらにもその考えは転ぶ。
それは青山景氏がツイッター上で最後にツイートした言葉からも。
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まあ、やり残したことや、やりたかった夢などはいっぱい残ってはいるけど、「思い残すこと」はあまりないのだ。僕は、僕が生きた32年に、結構満足しているのだ。.aoyama_kei 2011/10/06 23:00:37――――――――――――――――――――――――――――――
………。
ちなみに“リリカチュア”が月刊IKKI 2012年3月号に掲載されたのですが、同誌で掲載された青野春秋先生の『俺はまだ本気出してないだけ』では、漫画家を目指す主人公シズオの親友で パン屋を営む宮田が 自殺を試みたものの死ねなくて戻ってきた回が掲載されてたり。
“ドリップ”がIKKI 2003年8月号に掲載されていて、
その掲載順の前の位置には、日本橋ヨヲコ先生の『G戦場ヘヴンズドア』の最終回が。
漫画家となった主人公・町蔵が 先輩漫画家(?)の都先生に、漫画家に必要な「人格」について、
「どんなに才能があっても色んな事情でそれを続けられない人は大勢いる。
でも、運がいいのか悪いのか、町蔵君はマンガをやめなかった。
――――いや、やめられなかった。
望んだというよりは、そう生きるしかなかった。
それこそが「人格」だよ。
町蔵君はこれでしか生きられないんでしょ?」
………というのが掲載されていて。
これをどう解釈しようか?
作家として…漫画家として生きることと、 ただ純粋に生きること。 生き方のこと。
男性にとっては生きることと、仕事は同列の問題で、仕事における問題は人生に関わる。
それは自殺率の統計などでも出てることですが。
仕事として生きるために“自分”を殺して生きる、死んだように生きること。
死ぬ気になって生きろ。 ?
いきいきと生きることが出来ていても、それ自体が生きる糧になるとは言えない。
人生が“私”に意味を与えて、役割を見出してくれていたとしても、人生を・生きることを放棄する理由はどうとでもなる。
『よいこの黙示録』に通ずるであろうこの部分で、生きることを超越的に肯定する、何か が見たかった。
[リンク] : "青山景、自殺直前最後のツイート(Togetter)"
この初期作品集で、青山氏の根幹の片鱗に触れてみて、勝手に思索する自由はある。
思索の自由を咎めるものなど誰もいない。
それこそ作中で劇を…、生きる中で誰かを演じて異なる“自分”に触れるように。
THE DOG RACE 〜青山景初期作品集〜 (IKKI COMIX)
(2012/02/23)
青山 景
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