藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“共感を寄せたい立場とか、”

 

 

 

フォレストさんが叩かれ過ぎだとか、いやいや明らかにおかしいから辞任は当然とか色々ありますけど、
一方的な、主観的な価値観で言い放ってボコボコにしても良い というのは世間様は許してるんじゃないんですか? そういう姿を見せてる大人さまの姿を多くお見受けしますし、そういう人の存在を許しておいでではないのですか?

逆に、なんか盛り上がってるほう ではない側になんとなく冷めた目で見てしまう感じ というのもあるし。

本当に誰のことを想ってその言動を採っているんでしょうか。

 

や、フォレストさんの話だけじゃないんですけどね。

(私のツイートも、その件のことについてじゃあ無いので。)


触れた情報の『それ』に対して、どう思うか、どう反応するかはその人が持ってる固定観念に依るんですけど、それに自覚して反応してるんでしょうかね。

男女の違いの批判でも、老害とかいってdisるにしても。
それを批判したい意思として、「だって~」とするのなら、どういった情報収集をそれまでの人生で積み重ねてきたのか って話ですからね。

一方で、他者を慮るばかりではなく、主観的な主張をすることを構わない、むしろそれこそが『是』であるという風潮もありますし。

他者視点ばかりを持つ人が、主観的になってみることも大事だよ ということは言えるし、主観的にばかりなる人が、もっと他者視点で見ることも大事だよ ということも言えるのですが、今までのものの見方を変えることは容易ではなく、
結局何も変わらない視点の持ち方、価値観の抱き方を継続され、特に改善することもないというね。

ま、
改善する必要も無いんでしょうけどね。
改善したい人は自分で改善するし、改善する必要が無いと思ってる人はそのまま強権的に大きな声で他者を屠るだけですのでね。



ところでフォレストさんの会見を実はリアタイしてチラッと見てたんですが、真っ白い壁を背景に1人立って、マスコミの皆さんが質問を投げかけるのですが、どっちも微妙な態度 / 物言いをされておられたので、どっちも微妙なことだなと思いチャンネルを変えました。


いったい何を大切にしたいのか、何を主張したいのか、傍観者はどこに心情を重ねたいのか。それを批判したい理由はどこにあるのか。

そこまで考えることなく、サンドバッグが欲しいのかもしれませんし、
考える必要性はそもそもなく、そのように反応した、反応したいことが全てだというのなら、それでいいんじゃないですか。