「森喜朗には退いて貰った方がいいだろう」と思うことと「皆があまりにも一様に誰かを攻撃する様に恐怖すること」と「後任人事にうんざりすること」は全部並立し得る
— 蝉川夏哉 (@osaka_seventeen) 2021年2月12日
それぞれの主観的な言い分。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年2月12日
客観的に見る当事者の価値観と幸福。
外部情報の中で、自分がどこに関心を寄せたいか、どこに価値観を抱いてるか、今までの時間を何に関心を寄せてたか、
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年2月12日
私が反応してるのは、その外部情報に対し 何を自分に重ねているのか、
フォレストさんが叩かれ過ぎだとか、いやいや明らかにおかしいから辞任は当然とか色々ありますけど、
一方的な、主観的な価値観で言い放ってボコボコにしても良い というのは世間様は許してるんじゃないんですか? そういう姿を見せてる大人さまの姿を多くお見受けしますし、そういう人の存在を許しておいでではないのですか?
逆に、なんか盛り上がってるほう ではない側になんとなく冷めた目で見てしまう感じ というのもあるし。
本当に誰のことを想ってその言動を採っているんでしょうか。
ずっと書いてるけど、森批判は毎回こういう振り子運動みたいな『批判』と『批判しすぎ批判』の反動エネルギーを生み出し、しかも最終的にはそれが彼の権力を強化する。今回もその展開になりかけている
— CDB (@C4Dbeginner) 2021年2月11日
「『降ろしてやったぜ』って感じが気持ち悪い」EXIT兼近が森会長辞任巡り https://t.co/pHwqA3F3zg
や、フォレストさんの話だけじゃないんですけどね。
(私のツイートも、その件のことについてじゃあ無いので。)
触れた情報の『それ』に対して、どう思うか、どう反応するかはその人が持ってる固定観念に依るんですけど、それに自覚して反応してるんでしょうかね。
男女の違いの批判でも、老害とかいってdisるにしても。
それを批判したい意思として、「だって~」とするのなら、どういった情報収集をそれまでの人生で積み重ねてきたのか って話ですからね。
一方で、他者を慮るばかりではなく、主観的な主張をすることを構わない、むしろそれこそが『是』であるという風潮もありますし。
他者視点ばかりを持つ人が、主観的になってみることも大事だよ ということは言えるし、主観的にばかりなる人が、もっと他者視点で見ることも大事だよ ということも言えるのですが、今までのものの見方を変えることは容易ではなく、
結局何も変わらない視点の持ち方、価値観の抱き方を継続され、特に改善することもないというね。
ま、
改善する必要も無いんでしょうけどね。
改善したい人は自分で改善するし、改善する必要が無いと思ってる人はそのまま強権的に大きな声で他者を屠るだけですのでね。
ところでフォレストさんの会見を実はリアタイしてチラッと見てたんですが、真っ白い壁を背景に1人立って、マスコミの皆さんが質問を投げかけるのですが、どっちも微妙な態度 / 物言いをされておられたので、どっちも微妙なことだなと思いチャンネルを変えました。
いったい何を大切にしたいのか、何を主張したいのか、傍観者はどこに心情を重ねたいのか。それを批判したい理由はどこにあるのか。
そこまで考えることなく、サンドバッグが欲しいのかもしれませんし、
考える必要性はそもそもなく、そのように反応した、反応したいことが全てだというのなら、それでいいんじゃないですか。
モルカーが生理的に受け付けられなくて地雷と公言している知人が「なんで皆モルカーを見て人類は愚かとか言ってるんだよ!あんなもの見なくても、人類は愚かだし滅ぼさなきゃいけないって気付けよ!!!」ってキレてたのめちゃくちゃ面白かった。
— K斗@勘の鈍い軍用インコ (@Ktokeito) 2021年2月9日
私も見てないけど、仰る通り 人間は愚かで絶滅すべきだってずっと思ってますよ。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年2月9日