長い年月を経た末に、いじめの加害者から「できることなら直接謝罪したい」みたいなことを言われたら、いじめられていた側はむしろ恐怖を感じるんじゃないだろうか。二度と会いたくない、思い出したくもない人のことを思い出さざるを得なくなった側の気持ちを思うと、心が痛む。
— 増田勇一 (@youmasuda) 2021年7月16日
50代になっても10代にしでかしたことをずっと責められ続けるのは酷ではないかと思いつつ、しかし時間がすべてを無効化するわけではない、とも思う。むしろこの機会に、ちゃんと向き合って何かしらの言葉を出すべきなんじゃないか。
— MAEDA Takahiro (@maesan) 2021年7月15日
50過ぎて、中高生だった頃にやってたイジメがえげつなさ過ぎると世界中で話題になって大バッシングされるの、今まさにイジメの当事者となっている人達へのこれ以上ない強烈なメッセージになったのではないか
— マルベリー公 (@D_o_Mulberry) 2021年7月19日
で、このツリーですよね、
ずっと忘れられなくて、3月〜4月の卒業・入学・入社の季節になると特にそれを思い出す。
— うりぼー (@okame83) 2017年4月2日
もうずいぶん前のことだけど、今「ある境遇」にいる人達には大切なことだと思うから言っておきたい。
過去のことに縛られて云々とか、謝る機会がなかったとか、そういう話ではなくて。
— うりぼー (@okame83) 2017年4月2日
いじめやパワハラをしている人は、「今の自分」と「五年後の自分」は別人ではないとわかってほしい。「人はいつでも変われる」。それは一理あるけど、「あなたが言ったこと・したこと」は消えない。
そりゃあ いじめられた記憶なんて消えませんよ。
いじめてきた人の名前と顔なんて忘れてないですよ。
仕方のない傍観もあったでしょうが、何故 傍観されていたのかも気になってしまいますし。
そして過去の行いが表面化するときもある。
向き合わざるを得ないとき って出てくるでしょうから。
立場が固定化されることは無い。
いつか批難していた立場に自分がなることもあるだろうし、
無関係だと思っていたものに突きつけられるかもしれないし。
『それ』を許す のであれば、『それ』を許さない のは何故か。
空気とか雰囲気で決められるものなのか。
決めていいものなのか。
空気で決めたいものなのか。