(いつもツイッターでよく見るやつ)
(磨伸映一郎 著「氷室の天地 Fate/school life」より)
(画像を勝手に使う以上、作品名くらいは引用元を書かせて頂きますよ…という免罪符…)
(BLEACH 44巻より)
みんな「正義に基づく行動は許される」とか考えるから「自らの正義」に基づいてむちゃくちゃしたりするわけです。正義に基づこうが悪に基づこうが他者加害をしちゃだめという話ですよ。仮に主観的に正義に基づいた行動だとしても明確な他者加害をした場合そのペナルティは負わなければならないわけです
— ノ ー ス ラ イ ム (@noooooooorth) 2020年5月31日
×「正義は暴走する」
— 古川 (@furukawa1917) 2020年5月24日
×「ひとは自分が正義だと思っているときほど攻撃的になる」
○「ひとは自分の不当な攻撃性を正当化したいときに大義名分として何か適当な正義を見つけ出す」
これは何度でも声を大にして主張していきたい。君のそれは正義でも善でもない、ただの陳腐な悪なのだと
人の行動原理は、『楽しいから』と『利益があるから(得をするから)』だ と知ったんですけど、
『正義』も、まぁ、そうであって、そうでないような感じもするんですけどね。
なんか『正義』って嘘っぽいんですよね。
正しいことをやっているときの気持ち って、『正しい』から強い意図があるワケじゃなくて、『意図』の部分が強いから、正しいを使う意味があると思ってるんですけどね。
いま「死に追いやった人を許さない」と思う気持ち、それこそが次の死人を出す心です。「私は正義だ」と思った時、ひとは1番残酷になれます。
— トイアンナ (@10anj10) 2020年5月23日
誰かの / 何かの悪いやつ、都合の悪いやつを見つけて、そいつをとっちめることで手軽に安心できてしまいますからね。
先日の誹謗中傷の件にしても、今度は誹謗中傷してた人が責められてアカウント消したりしてましたし。
みんな正しいことやってるんですよね。
誰しもが『正義』に基づいた言動をしてる。
自分の『正義』を疑いもしないで一方的に責める。
疑いを持ってしまうと『正義』が揺らいで責められてしまうものね。自分の正当性が覆される恐れがあるものね。
『正義』を使う動機が、自分個人ではなく、本当にみんなの視点を持った上での最良の裁量なのだろうか。
『みんなの為に』というのも、大概が 自分の都合の押し付け だったりするもので、そこで言う『みんな』は、どこの誰を対象とした『みんな』の為なのか見えないとね。
というか、動機に『正義』を使わないで、言動の意図が伝えられるだろうか と。
だいたいの人は 好きなようにやってんだし。
(まぁ、とはいっても、自分も自分の正しさの為に動いてるなー ってところはあるんですよ。けどそれを押し付けないようにしなきゃなー ってのはあるし、)
(あと『正義』ってのが『無難さ』を自分で判断しちゃってる感じもあって、言動に消極性を加速させてしまってるのもあるのでは…? という疑いも自分にあるんですよ。
(極端なこと言うと、お酒は美味しいけど体によくないからダメ とか)
だから 一般論としてはあまり好まれないものだけど、自分では楽しいこと ってのをもっと採用して、許していけたらいいのかなー というのはありますね。)