武田友紀さんの 『「繊細さん」の幸せリスト』を読みました。
武田友紀さんの『「繊細さん」の幸せリスト』を買いました。読みました。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2020年5月26日
色んな人の言動や感情の意思みたいのを感じ取りやすいので、なるべくイヤなものは無視して、自分にとって肯定的なものを意識して取り入れる感じですかね。 pic.twitter.com/uPT6pGO9W9
前の青いほうの本を読んだときにも書いてあったけど、感じ方は人それぞれなので、落ち着く状況も違うんすよね。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2020年5月26日
気分的に周りの音の雰囲気とかも そのときは良くても今はダメ ってときもあるから 合う空間 ってのがそのときどきで異なるんすよ。
前の本も読んだ上で、ですので、以降は自分の感情を大事にしていこう ということは心掛けてるつもりなんですよ。
イヤな部分の、大きな音とか声とかに反応してしまうのはもうしょうがないとして、ちょっとした情景とか機微とか背景とか、そういったものに思いを馳せる という感覚は大切にしていきたいな って感じたんですよ。
こういうことも書いたんですけど、これは他人や背景に思いを馳せるというのを自分に向けたもので、
色々とトゲトゲしたものを感じてしまうけれど、そんな中で私はよくやってるな っていう、自分の細やかなところに自分で気付いてそれを大事にしてる って感じです。
そんでなるべく力を抜けるところは抜いて、肩で息をわざとして、大きく息を吐くとかなり楽にもなりますし。
本書、とにかく、自分で「良い」と思ったものは手にしてみたり、周りに置いてみたりなど触れてみることが大事で、その、ふと「良い」と思った その感性を大事にして、且つ、その「良い」と思ったことをアウトプットしていきましょう というのがメインで触れられてることですかね。
SNSなどでそういうことを発信することで、同じく「良い」と思った他方も見つけてくれるから、
というコトでもあるのだそうで、私は自分のツイッターでも文句や愚痴をついつい言ってしまうことが多々あるので、良いと思ったことをなるべく出していきたいですね。
あー、あと、私はどうしても多くの人の正解とか、一般にとっての常識とかを考えてしまうので、無難なことしか言わないんですよ。当たり障りのないようにしてますので。
>>「世間に合わせようとする声」
とかね。(P.138)
それは嫌われたくないから とか、本音を丁寧に言ったところでそんなことを知らぬ存ぜぬで感情をぶつけてこられたこともあったので、誰にも本心なんて言わないし、私のことなんて誰も分かってくれないだろう という諦観があるので、だったら何も言わない方がいいな って思ってしまったんですよ。
で、
新刊の後半で
— 武田友紀@「繊細さん」の本 著者 (@sensainomori) 2020年5月5日
「わかりあうを手放す」について書いています。
言葉が通じる人々との出会いは
光のようで
私を助けてくれたけれど
わかってもらえたとしても
孤独の先には進めなくて
本当にほしかったのは
<自分一人きりの世界から外に出ること>
だったように思います。https://t.co/VUgu0L1bKP
これなんですけどね、
本書の6章の『共感』についてですけど、
私は話しかけられやすいがゆえに、色々と声かけられてしまうんですけど、もうそういうのが鬱陶しくて、
自分が共感できないこと、共感したくない ことに対しても、相手の話しぶりから、「共感してほしいんだろうな」ということを察してしまうので、それが面倒になってしまったんですよ。
だから誰とも喋りたくないな って思って ずーっと閉じてるんですけど、
この6章での、
共感する力は自分の幸せのために使う とか、
雑談が苦手(P.214)~についての『1』と『3』とか。特に『3』ですけどね。
(私、雑談は苦手です。けど苦手をイヤな部分とは思ってはないですが、)
なんとなくの雰囲気で話せそうな人には近付いていく努力はしてますけどね。
で、最後のほうにある『わかり合うを手放すこと』(P.227) ですけどねぇ…。
たぶん、私の中で「どうせ分かってくれないし」みたいな思いに執着してるから、諦観して閉じてしまってるんですけど、
分かってくれなくても良い(?)みたいな?、ネガティブな諦めというよりも、前向きな思いでの、「わかってくれなくても大丈夫」っていう感覚に私がシフト出来れば、このへんは気軽になるんでしょうかね。
なんていうか最近、感性の違いとか、一つの情報からでも受け取る考え方の違いなどを大きく感じる機会が多いので、
(ウィルス関連の情報やそれに対する対処 / 対策の仕方それぞれにしても)
それらが『違い』であって『間違い』ではない。それぞれの思うものがあって、それがただ『違う』んだ ってことを、尊重して考えていけたらな と思いました。
ま、でもなにより『自分の幸せのために』その感性を私が使う ってことですけどね。