藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“言語にとって微とは何か。”

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>>「なんで宿題をやってないの!?」と聞いたとき、
『宿題をやってない理由』を聞きたいのか、『いいから宿題をやれこのボケ!』と言っているのか。

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「なんで宿題やってないの!?」と聞かれたほうも、『宿題をやってない理由』を問われているのか、理由を答えた方がいいのか と思うのと、
『宿題をやってないことを責められている』ように感じてしまう ってのと。

 

 

 

対人間での諍いがあったときに、それはお互いがお互いを知りたいのか、分かり合いたいのか、共感したいのか、齟齬が生じてモヤモヤしてる気持ちを一方的にぶつけたいのか、その上でどのような関係結果を築いていきたいのか。
それとも関係を御破算にしてもいいと思った上でのことなのか。
そうしたときに自分が他者に差し出す言語はどのようなもので在りたいと示すのか。

 

 

 

 

自分が気持ちを言えば、ぶつければそれでいいのか、
そもそも相手の話を聞きたいのか、
相手の気持ちを訊ければいいのか、
相手の気持ちが自分にとって納得のいくものでないといけないのか、
納得のいかない理由であったときに完全にその相手を断罪してもいいものか。喝破してもいいものか。




言語に拘わらず、なにかしら表現を 表出するということは、表現(あらゆる言動)を受けとめることは、人の心になにかしらの機微をもたらすものだと思うのだけれど、

その機微をほどくことなく大雑把なカウンターばかりを採用しているだけでも良いのだろうか と。
心に刻まれた、微かなものを拾いあげることは出来るのだろうか。











タイトルは吉本隆明の著作からのパクリです。

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

 
定本 言語にとって美とはなにかII (角川ソフィア文庫)

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