『殺したい』で検索したら怖いの出た。
Googleさんが広告でこういうのを出してくる っていうことは需要があるのか 需要見込みがあるのか そういうことなんでしょうかね。
ところで私は、
『死にたい』 と 『殺したい』 って “≒” だな って思ってて。昔から。
負のエネルギーが外向きか内向きか っていう違いなだけだと思うんですよ。
誰かを責めたいか、自分を責めたいか。
本当に「殺したい」なんて思ってる人はいない。
(って書いておいてアレだけど、マジで基地外の人とかは好奇心とか興味とか 悪意なく純粋動機で殺しにいく人もいるから そういうのが一番タチが悪いけど。)
社会的な外部要因で『死』を選ばざるを得ない みたいに追い込まれてる人がいて、その憤りをどこに向けてるか。
社会的に『敗者』だと『負け組』だと、『無敵の人』になれるからね。。。
(参考 → 黒子のバスケ脅迫事件 - Wikipedia )
そういう『無敵の人』を、排除する という流れになってしまうと、それは自責を追及して責めるだけになるだけで。なんの解決にもならない。
けど社会とか他人の所為にしたところで救われるワケでもない。
で、
検索してる中でこれを見つけて、
『自分の心が殺されているから、人を殺したくなるんです。』
それな!
外からの勝手な声に応えて、堪えて。
応えて、堪えてきたのになにも報われないからクサクサしてきて、そりゃあ殺したくもなりますよ。
自分は自分に向き合ってても、他人が勝手に映した現実を外にいる “自分” にぶつけて追い込む。
さっさと逃げよう。
他人に構ってられない。自分に構ってあげよう。
かまうものか。