藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 36”

[外部リンク] : 『どうして人生って大人になっていくにつれてつまらなくなるんだろうな』(VIPPERな俺)

いや、まったくですよ。

子どもの頃は大人になったら自由になれると思ってたら、大人になっても窮屈でしたでござるの巻。
だからといって、子どもの頃が楽しかったかっていうと別段戻りたくも無いでござるの巻。

まーなんつーか、すべてが都合の寄り合いであったりとか、機能を補完し合うだけだなー なんて思ってしまって楽しさを見出しにくくなってる っていうかねー。

強者の論理で全てが支配的な感情に強いられてたりとか。結局カネとか技術とか権力とか暴力の強い人が正しさを振りまいて弱者を救うということに酔いしれて手の平で転がし続けてるんだろうなー って。
だったら私みたいな底辺の雑魚はガタガタ震えながら奴隷根性ばかり見せて小さいハコの中に閉じ込められたままなワケですよ。

一昨日のエントリでのバクモンの感想じゃないですけど、楽しいと思えるんでしょうかね。
大人が楽しいと思えずに子どもに楽しさをどう感じてもらうんでしょうね。

苦労は買ってでもしろ って言うけど、別に買う必要もないけど買わされ続けてそれなりに苦労したけど苦労をしただけでネガティブ癖がついただけですよと。

たとえばそういうコト書くのもね、うーん、最近ここでも職場でよくキレてる って書いてますけど、上司クソですからね☆それも親が権力者だから上司の上司が言っても聞かない っていう。だから結局“力”が全てでふんぞりかえってるだけですから。所詮それがガキがミルクほしくて喚き泣いてるだけにすぎない っていうコトだと分かってても相手はガキじゃねえから諭すとか効かねぇんだわね。この不毛さ。

あぁ、バクモンのときの感想で書き忘れてたけど、あれ、滋賀県大津の件も親がアレとかあったじゃないですか。だからそういうのって結局解決しないんですよねー。

こういうのがね、なにをしても無駄だとの虚無感をただただ募らせるのですよ。

[外部リンク]:『自殺がなくなった方が、「社会のコストパフォーマンス」がいい〜自殺対策支援センターライフリンク副代表・根岸親氏インタビュー〜』(BLOGOS)


記事の末部でコスパについて語られてますけど、結局ビジネスかよ って思いますけどね。ま、実際そうなので反論する気もないですけど。
つか、だからこそ、社会の荒波に呑まれてどうしようもなくなって、他人から責められたりも相俟って ってくらいなら自殺しちゃってもいいんじゃない っていう暴論を掲げておきますけどね。
それはバクモンのときに書いた、『自殺が復讐の手段』っていうのに似てるんですけどね。



自殺するヤツは弱いヤツだとか、そういうものを排斥する考えで断罪していったとすると、結局それは巡り巡って自分をも苦しめることになるんですけどね。
それこそ刹那的な。自分(の立場)さえ良ければ ってなるとね。


[外部リンク] : 『「『五体不満足』から遠く離れて」乙武洋匡×大野更紗』(SYNODOS×BLOGOS)

生きるのつらい ってコトに関してはこちらもありますけどね。こちらは『見えない障害者』についての内容が中心ですけど、ただ一般的な認知度が低いから、軽視しがち っていうか。
“軽視しがち”っていう、その健常が当たり前だと思ってるとなにかしらの障害なんてーのは見ようとしませんからね。
私は知り合いの主婦の方のお子さんとかが障害持ってたり、往来する場で車椅子使用してる人をよく見かけるので割と日常ですけど。
関わる機会が無いとなんとも思いませんからね。当然っちゃあ当然だし。仕方ないっちゃあ仕方ないんだけどさ。


うつについての心の強い弱いとかもあるんだろうけど(というか心の強さなんて関係無いんですけど)、所謂、心の強い人は(つか無知ゆえに傲慢で強さをひけらかす人は)、ただ責めるばかりですからね。
だから私は逆の意味で自殺を肯定してしまいたくなってしまうんですけどね。

社会への復讐的な意味合いでね。



あぁしかし、人生つまんない って思ってしまうのは自分自身の考え方に起因するところが大きいから、それこそ私ゃどうかしたほうがいいんでしょうけどね。どうしても冷めてしまうものですから。