藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【皮肉】『いじめはしてもいいけど、自殺と殺人はやってはいけません!』”

[外部リンク] : 『山口県周南市集落の5人殺害事件、周辺住民の嫌がらせが怖い』(NAVERまとめ)


(一応、これが正しいとしたうえで。)


閉鎖的な空間において、その小さな集団でのルールに沿わなかった人を仲間外れにして、嫌がらせをする というのは学校の教室だけの話じゃないものでー。

教室の中でなんとなく変わった人を見つけては、その人に嫌がらせをする。
無視であったり、暴力であったり、物を盗ったり・隠したり。
それが終わるのは、イジメられてた生徒が登校拒否になる・引きこもる。また、引っ越したり、自殺したり。はたまた嫌がらせが度を越して殺してしまったときだけ。
あとはイジメしてるほうが飽きるまで。嫌がらせの対象になる人がなんとなく変更されるのを堪える。ぐらい。


さて、自殺までいってしまったときに、いつもの常套句。
「命は大事にしましょう!」
「いじめはしてはいけません!」

wwwwwwww

ちょ!待てよ!(キムタk

この2つはぞれぞれ別個。命を賭して いじめを終結させたのに。

何故、いじめをしてはいけないかというと、自殺や殺人に至ってはいけないから ってだけじゃないの?

「ウチの学校にいじめはありません!」
(「死に至るような 人を責め立てる行為はありません!」)
『いじめはあるかもしれないけど、死人が出るような状況にならなければいいだろう?』

『やるならうまくやれよ。死なない程度にな。』
…ってか。どこの893ですか。

そうしてうまく切り抜けた、いじめてた人は言う。「オレも昔は悪かった。(ドヤァ 」






はい、
翻って最初に上げた、山口県の集落の記事。
親の介護のために田舎に戻ってきた今回の事件の加害者は、リンク先記事によると、草刈り機燃やされたり。住民との口論の中で、今回の被害者の一人から刺されたとか。

完全な村八分だよねー。

「いじめというか いろんなことがあったみたいです」(記事より)

今回の事件の加害者は、介護が終わったら村を出れば良かったのか。
町おこしを考えてたり、ほかの住民より若いということで色々手伝ったりしてたようだけど。溶け込めず。


加害者が引っ越せば、ここまでにはならなかったのでしょうかね。でも次に田舎に誰か若いのが来て、村の慣習に倣わなかったら、またいじめみたいのが始まったのかなぁ。
この事件が表面化したのも、加害者がこれまで被害を受けてたのを殺してくれたお陰で明るみになったようなものだしな。


んで、表題ですよ。
いじめなんて何処でも起きますよ。きっとね。それはどんな環境でも。
学校だろうが、地域だろうが、職場だろうが。
でも、いつもいじめがダメだとか言うのは大概死人出てからで。それから『いのちだいじに』とか言うワケでしょや。
なんで『いのちだいじに』しなきゃいけないかの理由もわからないような大人ばっかやのにね。

合わない人を、“大きな声”で抑圧したり・攻撃を加えて責めて、責めていくことで、いつまでも自分の立場を肯定し続ける。いじめは肯定され続ける。
肯定されて然るべきなのを諦めるしかない。


死に至らないように、うまいこと逃げていこう。
死による解決は便利すぎて繰り返す。
死なせないように起きていたいじめは いじめ被害者が死ぬことによって解決するけど、いじめ気質自体はなくならない。
かつての被害者が報復行為をしても同じコト。
それでも「いじめはよくないよ」とかw「自殺や殺人はよくないよ」とかw

ほんとうに、自身の生き方も 他人への生きることを願うことも下手な人ばかりや。