藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“消費の限界。”

(なんとなくで書いてます。)

前からここで書いてることですが、たくさん本買ったりしてるんですけど読む時間が無くてずっと積ん読状態なんですよねぇ。録画した番組をなかなか見ない、見ようとしない。いつでも読める・見れるからいつでもいーや ってなってなかなか読まない。CD聞くのも、買ったDVD見るのもそう。
レビュー書いたりしてますけど、発売してから日にちが経過してるのが目立つようになってますからね。


お金を使って、欲しいものを買うのはいいんですよ。
けど、その買った商品自体を消費できてないですよね。
それで結局滞積していく、っていう。逆にその溜まっていくのがよくないですよね。

なんでもかんでも循環は大切、っていいますけど、物がずっと溜まった状態でいるのってよくないですよね。

販売側にしてみても、在庫をいつまでも抱え続けるのはよくないじゃないですか。
ホコリだって溜まるし、ほかの新たに入ってくる商品の販売スペースにも関わってくるし。
そうなると叩き売りになってしまうか、卸業者・販売元に返品ですよね。ゆくゆくは廃棄か。


たくさん売りたいのはわかるよ。
消費促進したいのは分かるよ。(←これ、ただの会話のロジック的なただの相槌ちとしての同意ですけどね。(笑))

けど、そんな暇は無いんだ。
お金はそんなべらぼうに無いしね、稼がねばならんのよ。
1年の、ひと月の、一日の、人生時間のどれだけを仕事に費やしてると思ってるんですか。
私みたいな底辺の仕事してる人はね…頭が悪くてね、会社の歯車になるしかない私のような人はね、時間を犠牲にしてお金を得るしか無いんですよ。
食べる時間も惜しいほどにね。(私、痩せてますけど、これはあまり関係ないです。)

基本、時間給じゃないですか。
よっぽどのディストリビュータや、不労所得、資産収入を得ている人以外はね。
時間犠牲にしてる以上、消費するものには制限があるんですよ。

食べるのもそんな前田のあっちゃんみたいな朝食とか無理ですもの。(比較の相手がおかしいw)
そこそこ満腹になって、栄養があればいいじゃないか。低価格で量もそこそこに。
そんで使うお金なんて、自分のストレスを緩和させるために趣味にお金を使うくらいですからね。

長期間の旅行とか車とかの大きな買い物とか厳しいですよね。
(タイトなスケジュールで日帰りで旅に出るとかしてますからね。私。w)

たまにアレですよ。毎週買うジャンプのために食費を削るような人もいますけどね。(← 
でも気持ちは分かりますよ、食べることよりも趣味というか精神の安定が優先ですもの。

けどだからといって、マンガにしろアニメにしろ……勿論、ほかの娯楽コンテンツにしても際限なく消費できるワケでは無いし。限られたものしか手が出せない。
昔のコンテンツとかも良質なもの多いですからね。
アニマックスでたまに無料放送やってるので、昔のアニメ見てることもあるんですけど、そういうので事足りるときがありますから。新規コンテンツじゃなくたって、いいものは何年経ったって良いんですから。
マンガもね。たまにどこかの記事で昔の作品良かったとかありますから。懐古厨乙 とか言われそうですけど、いいものはいいし。当然思い入れもありますけど、それも含めてね。

日本の製品の耐久年数って素晴らしいですよ。物づくりの国と言うだけあって、良質なコンテンツ・商品が多いですから。

車だって日本が世界に誇れるものでしょう。アメリカへの輸出で冷え込んだ日本市場よりも良い利益を上げることができたり。
地震の国だから家づくりに関してもよっぽどのコトでない限り…ANEHAとか過去にあったけど…家の耐久度なんてつくるほうも依頼するほうも確実に意識するからね。

そんな簡単にね、消費しませんよ。

年数に伴う、仕方の無い劣化はありますけど、あれが必要だから・これが必要だからと、過剰にものを求める必要は無いんですよ。
それだから修理よりも新品買ったほうが得とかあるんですからね。いずれ壊れるからとか。これは不可欠だからとか煽ってね。
いやいや、そのとき必要だったら買いますから。
いや、買ったとしてもそれ使うときがなかったらどうしようもないじゃないですか。

私なんて買い溜めしてたお菓子がまだ食べれて無いですし。買い置きしてたお茶のペットボトルは賞味期限を過ぎてしまいましたよ……。

人間の習性っていうのはあると思うんですけどね。
狩猟時代とは違って、ストックしながら生活に必要なものを揃えていくわけですからね。
けど、その習性を煽られて…不安があるがゆえかもしれないけど、だからといってたくさん買っても使わなかったら劣化してしまいますから。

メーカーさんが販売店に売り込むときに、メーカーはたくさん納品してくれれば嬉しいけどそこで売れるかは別な話ですよね。
CDでも何万枚セールスとかあっても、それ出荷数でしょ?とか。本の部数もそう。
売店が売れなかったときに返品できるならいいけど、納品したぶんを全て販売店側がなんとかしなければいけないんだったら それはアンフェアですよね。
それはメーカー側が、売れるかどうかは知らないけど、販売店が買ってくれたらいーや、っていう。
実際の顧客が・お客様が・消費者が買うかどうかはさておいて。
勿論、売れなかったら同じメーカーのその後の商品の納品数に影響するから、メーカー側も売る努力はするんでしょうけどね。


でもさぁ、フリダシ戻るけど、それでも消費するには限界があるんですよ。
いくら企業努力とはいってもね。販売店が努力するとはいってもね。
下層の人たちにはそれを消費するためのお金もなければ時間も無い。

ゴミを処分するのにもお金や手間がかかるワケでしょう。



そもそもなんでそんな生産する必要があるの?




SHARPが経営不振で大規模なリストラをするニュースがありましたけど、なんでそんなコトになってしまったんでしょう…。
テレビ事業とか昨年の地上デジタル移行が落ち着いてから軒並み値下がりしてたじゃないですか。
“いいテレビ”はそのときにもう買った人がたくさんいるんだから、それ以上いらないし。
3Dテレビは興味無いし。(※個人の意見です。)

他国のものばかり売れてたのがよくなかったとか、経営がここまで傾くまで対応策をなかなか取ってこなかったこともあったのかもしれないけどね。

そもそも生活必需品以外はそんなに買う必要無いよね。

ものづくりで培ってきた日本だけど。
ものに溢れて・囲まれて、豊かになった っていうけれど、そのぶん人の心は貧しくなったとも言うよね。

ものに溢れて、溢れすぎて在庫過多になって赤字になってしまったりね。


タニタ食堂のレシピ本が売れた影響で、食品メーカーもレシピ本を作ったと…NHKのニュースでやってたね。キッコーマンとか永谷園とか。
自社商品の売れ行きを促進させるための対策として。

生活必需品の一つでもある食品部門でもこうですよ。
(まぁ、このへんはどっちかというと嗜好品ですかね。)



ものが売れない対策でさらにものをつくって相乗促進を図るという。



(メーカーのレシピ本自体は面白いと個人的には思います。※個人の意見です。)

でも、これ、売れなかったら共倒れかしら。


雑誌が売れないからwebで無料で読める仕組みを作ったり。
CDが売れないから試聴やPV配信を公式に上げたり。
これは上記のレシピ本とは逆の手法だけど、これも無料で満足してしまうおそれもあるから諸刃の剣でもあったり。

……当然どっちも提供側はそれを自覚しながらも、こうした手段をとってると思いますけどね。


でも消費には限界がある。
とくに時間には。
お金は上記の商品・コンテンツなど、切り詰められるものは自然と切り詰められる。
『ネット関係のものなんて無料が前提だろ』なんていう暗黙もあったりする。


で、


個人にとって、人間にとって、人生において、必要なのは時間なのか、お金なのか。

(リストラするのも会社を残すため。そこで弾き出すことで守るのはなんだろう?)

私のように若いからと(若く見えるからと)、馬車馬のように働かされて、時間を消費し、健康を消費し(というより『害し』)、そうまでしてお金のために働く人が多いワケで。
たくさん苦労して、時間を費やしたぶんだけお金を得られると。

いや、でも、死ぬよ。
マジで。

ストレスフルだし。体力も精神も削ぎ取られていく。

私ゃ自殺願望抱えることもあるから…それに一人身なので死んでも無問題ですけど。w(←ワロエナイ

けど年齢を重ねられて体力的に無理が出来ない方も当然みえますし、家族を抱えておられる方はそれでも時間を使ってお金を稼ぐことを強いられたりね。


生産に対する消費であったりとか、生産に対しての対価である給料のモデルが限界なの。それはものづくり業も、サービス業も。それを強いられてることが。(ここ重要。個人的に。)
(『お金を得ること(手段)が“給料”としか表現が思いつかなかったことに、自分の脳内キャパが狭量であったことに気付いた』と以前も書きましたが。)

お金を生み出すために、仕事をつくる。生産や消費の循環モデルを用意することが限界なんじゃないですか。
雇用の捻出とかいって、職業訓練であるとか、なにかしらの施設のためにお金つかって二次的なお金の捻出のために生産スタイルを増やそうとしてるのかもしれないけど、政府の動向見てたらそれがことごとくコケてるのなんて一目瞭然じゃないですか。w

もちろん、必要不可欠な仕事はあると思いますよ。
時代の流れに沿った、人が必然的に求めるものとか、自然を相手にしたものとかね。

ただ、過剰なのが気になるだけ。強いているのが気になるの。

仕事が無いならベーシックインカムもきっちりやればいいと思うの。
無駄な施設や事業をせずにね。

国家は個人になにを求めてるんでしょうかね。
納税でしょうか? 労働力でしょうか? 言うこと聞くロボットでしょうか?
(このへんの文脈の子どもっぽさが…(苦笑))
個人は国家に幸せとか、暮らしやすい環境とかを求めてると思うんですけど、
国家…っていうか、大きなものを動かす立場にいる人は、個人に幸せになってほしいと思ってるんでしょうかね。

愛で地球を救えると思ってるんでしょうかね。
(このタイミングで…ww)



お金を儲けるために過剰生産している感が否めないんですよ。
資産運用じゃないですけどね。
それが役に立つか・誰かに喜ばれるか、というコトじゃなく、利益のために生産して消費を促そうとしてるような。


だからねぇ、少子高齢化とか言ってますけど、そこで子ども産め産めと言ってるのも、その生産も(語弊ありそうですけど)、どうしても労働力のために求めてるようにしか思えないんですよ。
個人の幸せと、国家や会社の存続が全くバランスが取れてない。というのか。


2012年8月20日付けのほぼ日、糸井さんのコラムですが(以下 引用)、

 

実は、ほとんどの道具って
 「消費」と言われるところから「生きはじめる」んです。
 かたちのない「映画」や「演劇」なんかの場合でも、
 観客が見るところから「生きはじめる」わけですよね。
 つまり、「使う=消費する」が、「生かす」なわけで、
 店に置かれているとか、
 工場や工房でつくられているときは、
 まだ、「生きる」ことを待っている状態です。

 「ほぼ日手帳」にずっと関わってきて、
 手帳が「生きはじめる」のは、
 人の手に渡ってからなのだということを、
 つくづく思うようになっています。
 だから、『キャプテン翼』のまねをして、
 「手帳はともだちさ」なんて言いたくなるんですよね。
 誰かに使ってもらわないと、ただのモノなんだけど、
 誰かが使ってくれたり頼りにしてくれたりすると、
 「ともだち」にもなるんだよなぁ。
 「ほぼ日手帳」をなくした人が、必死で探すのも、
 ほんとによくわかるんですよね。

 生かしているのは、使っている人なんだということは、
 案外、企業なんかが気づいてないことかもしれません。
 「お客さま」として持ち上げることよりも、
 「使う=消費する」ことで、じぶんたちの仕事が、
 はじめて完成するんだと理解することのほうが、
 ずっと大事なんじゃないかと思うのです。
 ‥‥妙に理屈っぽい言い方になってしまって残念ですが


(以上 引用。)
そもそも日本人は、お金の使い方が下手というか・知らないというか・苦手という……そういう話も聞きますよね。
もっとね、頭のいい方はいらっしゃるんですから、狡猾にならずに、抱え込まずに、下手な商売をしようとせずに、うまく共存共栄ができる手段が確実にあるハズなんですから、それを選び取ればいいハズなんですよ。


上記の文から表現引用すると、生かし方が下手 っていうか。


あるトコから聞いた話ですけどね、自社商品を「これはいい商品だ!」なんて思ってない幹部の方がみえるそうでね。
「どうせこんなもん売れねぇよ」
って自社商品を大量生産・納品・販売してるような企業もありますからね。
……じゃあ、なんで作ったんだよ…(苦笑)、って感じですけど。
(どことは言いませんよ。)




なんでもかんでもね、インターネットによってビジネスチャンスが広がったとか、ピンチはチャンスだからといて、早合点して商売しようとしてみてね。
それがちゃんと責任の範囲内ならいいんだけど、借金を大量に膨らませたり、税金でカバーできるから知らぬ存ぜぬで無かったことにしようとしたりね。
…そうなっても困るんですよ。ゆくゆくね。

経済を好循環させるのには、消費が大切だって言うじゃないですか。でもそんな消費を強要させようとしてるようでは、一向に好転しないですよ。そんで、『若者の○○離れ』とか言うんでしょ。w

欲望を叶えることが幸せなんですかね? あれこれ物が必要だと 欲望を増長させるように、消費を促すように仕向けて。
限定的で・肥大した欲望を叶えることだけが幸せの定義だとするなら、あまりにも狭義で天井打ちしますよ。

そんなコトばかりを目的にしていたらね…。

そうすれば私みたいに、ヒエラルキーの最下層で会社の歯車でストレスフルに働いて自殺願望抱えたり。
ツイッターでは鬱イートしたりね。
人に使われるまま、仕えるままに人生を費やして、『好きなものに時間を使えたらハッピー☆』とする中で、自分の好きなものがなんだったかも喪失してしまったりね。
出る杭は打たれるとか、色んな意見を迎合して“自分”がなくなってしまって、ふとしたときに『無個性でつまらない』と、コアな部分で不必要な存在になってしまったりね。。。

…そういう人が自殺によって減るんじゃなくて、健康的に生きられるようになるといいと思いますよ。
(あぁぁぁ…。)

私がする、健康的な消費とはなんだろうね。
過度な“生産”による呪縛によって、自殺や殺人による“消費”という、不健康な心がもたらす末路ではなく。

健康的な消費活動というものを。

※更新後補足。
よろしければ翌日エントリもお読み下さいませ。