藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 25の2”

生活保護受給、210万人=9カ月連続最多−厚労省
 厚生労働省は13日、今年3月に全国で生活保護を受けた人が前月比1万695人増の210万8096人となり、9カ月連続で過去最多を更新したと発表した。受給世帯も152万8381世帯と過去最多だった。
(2012/06/13-12:25)(時事ドットコム
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うつがメインというより、働けないことが主軸としてテーマが繋がるワケなんですけど、生活保護が増えていくと税制が逼迫して、ゆくゆくはほんとうに色んなところの税金が上がっていかざるを得ないと思うんですよねー。
(“ほんとうに”と前置きしたのは、今の消費税論議がウソクセーと思ってるからですが。w)

どうしても生活保護受給者についての問題になると、不正受給者の話になっていくんだけど、ほんとうに働けない人とか、ほんとうに生活保護が必要な人で声が上げられない人とかがこれからどんどん大変になっていくだけなんですよね。

生活保護バッシング のニュースもありますからね。

前回の“駄文 25”では個人の幸せについての仕事との相関関係についてだったと思うんですよ。
で、それと“自分より得してるヤツらがムカつく”っていう考えになっていくと、『個人の幸せ』についてはラクして生きることに終始してしまう懸念もあるというか。
それが不正受給を作り上げることになるんだけど。
だから働かないのにカネもらってるヤツがムカつくってなるんですけど。

例の芸能人の問題についても同様ですよね。
(背景がわからないのでなんとも言えないことは前提として)
収入がちゃんとあるのに生活保護を得るというのは、「オレより得しやがって」「ほかのヤツより得したい」とかそんな心理で。
万引きと同じですよね。
万引きGメンでさ、ちゃんと会計したのになんか一品二品パクるやんね。あれは人よりちょっと得した思いしたいっていうコトらしいからさ。


でも、働ける健康的な状態があるのに、社会の・会社の都合で働けない っていうのはマジで改善したほうがいいと思うんだ。それがゆえで生活保護が発生してるなら。
就職の斡旋をしたら会社に優位な保障のお金を国が用意するなんていう小手先のコトじゃなくて、最終的に生活保護をどんどん出すことによって税金をどんどん使っていくと、ただでさえ国は大赤字なのに、これからの若い世代にこれから生まれてくる子どもたちにどれほどの負担がいくのか っていう話ですよ。


但し、前回も書いたようにブラックはどうかと思うし。受給額より低い・もしくはトントンの額の給料で若い人を働かせ続けるのはどうかと思うし。


で、
優生学の話になると思うんだけど、これから働ける人がどんどんブラックとかでも働いていかざるを得ない状態になってしまうのが問題で。
健康な肉体を持ってるけど、知識も権威もないから安い給料で長時間働かざるを得ないと、そうなって体壊して受給なんて本末転倒だと。

戦争に行くのは健康な肉体を持ってる人が選ばれて、女性や身体疾患を持ってる人は免除されるという。

健康な肉体を持ってる人がモーレツサラリーマン的に働いて……戦場に赴いて、その身体を壊して死ぬ、もしくは“働けない体”になること。これが大いに問題で。
18〜65歳(だっけ?)の労働人口も減少傾向になるというのに、その層がどんどん減っていくとなると、国民1人あたりの生産量を上げていかないと、働けない年齢層をカバーできなくなる。
や、生産量を上げるというか、1人あたりに対しての対価を、給付額(給料ね)を上げていかないと難しいというコトですよ。それが消費のほうにも繋がるワケですからね。

労働力の意味での生産量を無理して上げていくと、体力的に疲弊は当然で。
優生学的に はじかれた人と同じ状態になるんですよ。

健康であることや、善良であることがそれだけで尊いということは失ってみないと分からないものなのでしょうか。

健康的に人のために“与える”行為ができる人がどれだけほかの多くの人の支えになるのか。

税制の逼迫が押し寄せる波がそこまで影響するのが分からないワケじゃあるまいに。

善良が失われることで、権威や暴力的な力を持つ人が高圧的に制すればいい という肩パットにモヒカンどものヒャッハー!な時代になりかねないですよ。



で、
健康の面、人間関係の面で、どうしても行政の支えが無いと大変な人も含めての社会の枠組みで、
そういう人たちを排斥すれば万事解決とも言えるのも疑問。

法律で保障された、「健康で文化的な権利」というのは、ある本によると、『努力によって得るもので、万人に全ての条件で保障されるものではない』とかあったような。

だからこれをどこに基準をもつべきなのか。
どうしても努力できない人も。

前回の“駄文 25”での こんな時代ゆえの幸せというものを、個人で追及することと、政府が考えなければいけないことと、そのバランスが・均衡が既におかしくなってるんですよ。
あるところにはあって、無いところには無いような状態で。お金や、健康が。

相対視する幸せ感の中で、絶対視するのは自分ばかり。
勿論自分の幸せ最優先でおkなんだけど。

どうも生きることへの執着する範囲がおかしい。

[外部リンク] : 『もう病院で死ねない 〜医療費抑制の波紋〜』(クローズアップ現代)

自分の命をどう扱いたいのか。家族のを。他人のを。

そして出来ればみんな幸せに生きるためには。ね。