藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【主題から逸れた】「あぁ、はたらきたくない。」(?) という話。【つか昨日の続き。】”

ビートたけし「日本語では“仕事”と言うんだよね。でもworkとかlaborとかいろいろあるわけでしよう。jobだとかさ。でも、businessとか、これひとつひとつ意味違うんだよ。」
(引用元)

最近、はたらくのがとても苦痛です。

今晩和。
いつもの私です。

ある意味、昨日のエントリの続き。


個人的なコトで…っていうか、誰もが思うことなんでしょうけど、言われて動くの ってラクだけどイヤだよね。
言うことなんでも「はいはい」聞いてればカドが立たなくて(“カド”って変換しようとしたら第一候補に“過度”が出てきたけど間違ってないよね。)、言うほうも「こいつぁ言うこと聞くいいヤツだ」なんてなるけど、アホらしいですよね。(^ω^)

仕事において、相手のリクエスト以上の期待に応えることによって、いい見返りみたいのが得られる、次の仕事につながる、いい収入になる。っていうけど、少なくともウチの仕事ではそんなものは無いので。

もぉ、雇用主とか顧客とかの言いなりだお☆(^ω^)

だだこねればなんでも通るとか(ゴネ得とか言うみたいやけど)、どんだけワガママなお子さまばっかなの?

と、思ったりしますが、これだとただの愚痴ですので ほどほどにしないと。(ゝω・) テヘペロ


「働きたくない」っていうか、「労働したくない」っていうのが正しいのかもね。
“雇用”という表現や、お金を得る手段が“給料”という表現に違和感を感じてたのもあるんだけどね。

『会社の星』見ててもさ、「言われてやる仕事が嫌いだから起業しました」って人もいましたけどね。(というか結構いるよね。そういう方って。)
……まぁ、別に私ゃ起業に興味は無いんですけど…。

ビジネスが嫌いか、っていうと、そうでも無いし。ですけど。
……大半の人がイヤな仕事でもやってるのはお金のため。家計のためでさ。だから美輪さんは「お給料は我慢料」って言ってるんですけどね。
『収入が』とか『報酬が』とは美輪さんは言ってませんけどね。あくまで『給料が』と。
結局なんのためにはたらくのか? って話なんですけどね。

これもだからさ、どれだけお金を動かしたかが最上に尊いとするなら、専業主婦(主夫)の人たちはなんなんだ?って話ですからね。
サイバラさんの本にもあったけど、主婦もやって、パートもして…って、それがどれだけ有り難いことか ってね。(私ゃそういう知り合い多いですけど。(笑))

働くのかはたらくのか分かりませんけど、家の手伝いをするとかね。そういうのでも一つの『はたらき』ですからね。
だから私が言ってる『はたらきたくない』っていうのは主に雇用主に対しての労働者でいたくない。ってだけですから。

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だって、phaさんなんて読む限りすっごい働いてますからね。
イベント企画したり、ネット上での構築するための下地をやったりとかね。
けど、カネないみたいですけどね……。


なんていうの、人間にはそれぞれ与えられた使命があって、それを全うするためにこの世に生まれ出でた。とかスピリチュアル的なこと言うとそうなんですけど、
けど大半は我慢して労働力に甘んじてしまってるじゃないですか。私もですけど。

それが画一的な教育や、メディアによる価値観の統一が図られてることなどね、それによって個性を埋没させてるようなね。…何度か書いてますけど。
けど、ま、そのサイバラさんの言葉じゃないけど、そういう勢力にいつまでも反発してたってしょうがないので、自分の感性に疑問を持ってしまった・私のような人には どうにか“個人の生き方”を取り戻さないといけないなぁ、と思ってますけどね。
どこか性分としてね、はたらきたい気持ちになるものでもありますからね。ワーカホリックじゃないですけど。純粋に自分のしたことに対しての喜びとか嬉しさ自体が糧になってはたらきたい気持ちを起こさせるものはありますからね。
決してそれを利害だなんて言えないほどの、信頼を以ってね。
(どこか人間関係自体を利害関係にしか見えない感覚も私は持ってしまってるんですけど、それはまた今度書きます。)

雇用主はさ、その雇用者個人だけではなく、その家族をも背負ってるって誰かが言ってましたけど(糸井さんトコだったかな…)、それが見えてないものね。なかなかね。

私も引きこもり気味のコミュ障気質ですけど、なんだかんだ色んな人と知り合ってしまって支えられてしまってる部分はあるので(『…しまって』って…(苦笑))、どうにか報いたい気持ちがあったりね。(『妖狐×僕SS』の凛々蝶さまじゃないけどさ…w)


仮に自分が起業できてある程度軌道に乗ってたら、今までお世話になった人の生活が楽になるような・安心できるような、そういう手伝いしたいくらいですもの。すごく平易な言葉で言うと、『自分の会社に雇いたい』ような。安心して一緒に働ける人をヘッドハンティングするような。ね。
ただ『友達と同じ会社では働きたくない』っていう思いも今は抱えてるので、やっぱ最低限の敬意が表せるような間柄でね。(“なぁなぁ”になってしまったりするからね。この場合。)



やや話が逸れます。
かつての上司とかがね、『挨拶は大切』って言われてたんですよ。
D・カーネギーとかにもありますよね。その “人”を大切にすることを。松下幸之助の著書でもあったかな。
そういう所謂、成功哲学自己啓発系で語られてた“リーダーたるもの”的なコトを、やってない人って結構見ますからね。
敬意を表したい、っていうのはそれも含めてで。

どこか人間的な完全さを求めてしまいがちなんですけど、どうしても……あまりにも逸脱してるしてる人を見ると…そんなような人と関わってしまうと尊敬できないのがツラいですね。

昨日SHARPの話書きましたけど、その、リストラもねぇ…。
松下からナショナルになって、パナソニックに統一になって。松下理念が失われてることとかもねぇ。
(創業者は人格者で頭がいい。って言いますけど、二代目になると……どうしても…ねぇ? …ってコトがありますもの。)


目指す、働き方がさ、共存共栄じゃなくて、今までしてたような競争ならいいんでしょうけど、でもその競争でどうやら行き止まりが見えそうなら改めるしかないものね。
就職活動が競争になってて。またリストラも競争になってたり。その排他とか排除とかの対象になった人にも意味が無いといけないんですよ。

勝ち組も負け組も(こう呼称するのが躊躇われますが)トータルで包括してるのがこの社会なので。
学校とか教室とかの拡大版みたいなもんだからね。
勉強ダメで運動できる人がいたり、運動からっきしで勉強はできる人がいたり。障害者のいる福祉学級があったり。そういうのも含めての社会が大人の人間社会だからね。
(だから逆に、大人の社会での陰湿なイジメがなくならないんだから、子どもの中でのイジメが無くなるハズが無い んだけどね。)

“個性と無力”のエントリで書いたけど、“個人”に向き合えてないのが一つあるのかな。

はたらけない人を生み出した社会を認めないといけない。…っていうか、『働かざるもの食うべからず』っていう価値観を排除しないとね。だって、リストラとかされた人がね、その人が働かなくても社会は回ってるんだもの。
ほんとうに必要なら社会が必ず役割を与えるものね。……その役割が見つかってないのは努力が足りない…っていう意見もありますけどねぇ…。

生活に困窮して…本当に身寄りが無いなら役所で積極的に生活保護受けて頂きたいですけどね。

けど、役割を与えなくて済んでしまってるなら、それは誰の責任なんだろう。

お金与えときゃいいだろう、で済ませてしまってるのはどこに 所在があるんだろう。



簡単な役割しか与えないままで居させるのは誰が悪いんだろう。

大量生産大量消費でね、ベルトコンベアー的な。
前日エントリで生産過剰の話書きましたけど、

電気機器じゃなくて、当然、食品もね。

[外部リンク] : 『食品の4割を捨てる米国、年間13兆円分が「ごみ」に』(CNN.co.jp)

……ちなみに日本は11兆らしいです。
[外部リンク] : 『食品ゴミについて』(イーフ21の会)
(家庭やレストランから出る一年間の食べ残し食品は700万トンで金額にすると11兆円でこれは日本の農業と水産業の総生産額(12.4兆円)に匹敵する。つまり国内で作られた食品を全て捨てているのと同じ。(リンク先抜粋))




震災によってたくさんのものが流され、壊れてしまったワケじゃないですか。
これね……暴論になってしまったらちょっと申し訳ないんですけど、蓄積する生活スタイルが…どこか溜め過ぎる生産スタイルが合わないんじゃないか。

大量生産し、大量に納品することでの生産コスト、運送コストを下げることは分かりますけど、生産するのにはそれなりにお金を使うワケじゃないですか。
で、昨日にも書いたSHARPの事例みたいに、売れなくて余るコトもあるじゃないですか。…や、シャープに限った話じゃないですけど。そんで値下げ・叩き売り・もしくは廃棄 ってね。
問屋に・卸に在庫を溜めておくのもそうで。

で、災害とかでその作り溜めておいた在庫が一気にやられることもある。

在庫処分をする。何かの事故で在庫がやられることもある。
つくった商品の利益見込みから大幅に下回る利益しか計上できなくて赤字になることがある。

“生産量を落とす”っていうコトは考えられないだろうか。
なんでも受注生産、というワケにはいかないかもしれませんが。

けどそうして生産量をしぼって、商品の単価を上げて、けど、大量生産していたときのコスト以下の価格で請け負って、その余剰ぶんで尚且つ給料も上げれば、デフレ脱却できませんかね?
……思いっきり素人考えですけど。

工場のラインで働いてる人っていうのが(私はよく分からないので憶測で書きますけど)、その商品がどれだけの受注があってどれだけの生産をしていて、出荷数ではなく、実売がどれだけか? …っていうのを把握してできてるんでしょうかね。
…いや、なんの商売でもいいんですよ。特に個人経営で無いほど…大きな会社であるほど、こういうのはよく分からないじゃないですか。動いてる金額が大きいから麻痺してるのかもしれませんけど。

ただ たくさん生産する。たくさん売る。在庫ヤバかったら叩き売る。みたいな。
農作物や自然の食品で生産の加減がどうしても予測つかないものはありますけどね。
(でも農家でも減反とかありますからね。輸入とのバランスで。これもお金が…税金が絡んでることがおかしな話になってるんで なんとも分からない話ですが。)

在庫を持ちすぎない…ってamazonとかもそれに当たるんだったかな。無店舗商売?
や、だからといって、MLMのみの手法を推奨してるワケでは無いですよ。

ただ、今の生産スタイルがなんか過剰だ。…と思ってるので。



……なんだか完全に前日エントリの続編になってますが、経済的なバランスも含めて、生産過剰というか。
働きすぎ……いや、働かせすぎなのかもしれません。
意図のわからない生産に人を使いたがる…“労働者”をほしがるだけでね。




100分de名著のパスカル・パンセの回であったコトで、
人間にとってつらいのは無為。そして、倦怠だと。

[ブログ内リンク]:『“【100分de名著 パスカル パンセ】 : 『第3回 生きるのがつらいのはなぜか?』を見た。”』

その気晴らしのために仕事をただしているのに過ぎない。そうとも思える。
なんのために生産活動をしているのか、なんのために働いてるのかも分からずに働かされているのは無為ではないんでしょうか。
目的もなく。目的の意図もわからず。

それこそ上に書いたように、お金さえ与えておけばいい ってなってしまう。
能動的な行動を阻まれると不健康になるように。


では、一見 役に立たない“商売”(“仕事”と表現すべきか、“ビジネス”と表現すべきか…)とか、お金にならないものとかは(上記の家事のように)、はたらくこととしての価値はなんなのでしょうか。



……あまりにも長くなってしまったので、続きはまた後日。