藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 29 『虚無の中での遊戯』”

なんとなく、虚無感を感じて、何もする気が無い休日の午後。
やる気も起きず、ただ闇雲に時間ばかりが過ぎる。

や、“何かしなければいけない”コトは無いんだけどね。
“何かを生み出さなければいけない”コトは無いんだけどね。

けど、何かしないと、何もしていない自分がとてもダメなような。罪悪感的なものを感じてしまうような。

(ヲイヲイ、毎日ブログ更新しておいて、そんなコト言うかい? とゆーのは無しな。w)

ましてこう、急に暑くなってきて、どこにも出掛けたくない気分で。
部屋でボーっとケータイ触ったりして時間だけが過ぎていく。

逆に考えると、何かしても無駄なのかもしれない。
何かしたところで………つか、別段、私が何かしなくても、
頭が良くて・行動的な誰かが頑張って社会を動かしてくれるでしょう。がんばって経済を循環してくれるでしょう。

何かしても、何も変わらないのだから。。。。。。


















なーんて、コトを考えつつ。
思わず、『虚無感 苛まれる』でググってみた。

ら、
yahoo!知恵袋での面白い回答に出会った。

(^ヮ^;;


いやいやいやいやいやいや……。(苦笑)
これねぇ、ただの、『こういう考えに至ることはよくあることですよ』で済んでたらともかく、先日のパスカルのエントリを書いたあとで、パスカルの『考える葦である』を使った文面に出合うとか! どーよ!!(←ww

なにこの全ての肯定!!(いや、ホントに…ワロタw)


たしかにね、昔の文学でそういうものに触れられていて、だからこそ人間の悩みや闇は永久不変だと言いますよね。(シンプルなところで太宰作品とか。以前に『カラマーゾフの兄弟』に触れたときも思いましたけど。)

や、
こういう悩みや闇が不変だからこそ、逆に何かしても無駄だと思う一方、だからこそ手を変え品を変えて自己表出したがる自己実現の本能とはなんぞ?とかね。

非常に、あーもー あーもー、な感じよ。
考える領域を増やして、限界の域を増設していかなあかんのぅ。あうぅ…。




ちなみに本エントリの副題『虚無の中での遊戯』は、マリスミゼルの楽曲タイトルから引用。
『虚無の中での遊戯』の歌詞検索したら悪くないものだったので。