藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“【100分de名著 パスカル パンセ】 : 『第3回 生きるのがつらいのはなぜか?』を見た。”

2012年6月20日放送。
100分de名著 パスカル パンセ 『第3回 生きるのがつらいのはなぜか?』を見ました。


司会・島津有理子アナウンサー
   伊集院 光

講師・鹿島茂(フランス文学者・明治大学国際日本学部教授)

以下、番組を見ながらのテキスト化。(文脈オカシイとこあると思いますがご了承。)


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2012 07 09 100分de名著 パスカル第3回1


「人間は生まれながらに不幸を運命づけられている」

生きるのがつらいのは何故か。


伊集院:「生きるのがつらいのは当たり前だよ。って(笑)」

鹿島:「たとえば、楽しく生きたい って人がいますよね。それは生きるのは辛いからなんです。」

伊集院:「一番コワいのは 自分だけが人生が辛いということ。思いがちなのが、アイツらなんも考えずにラクしてんのに なんで俺だけ辛いんだろう。っていうのが一番コワいから。」



パンセより【数ヶ月前に一人息子に先立たれ、そのうえ訴訟や争いごとで打ちひしがれて、さっきまで悩んでいたあの男が、今は不幸のことなど考えていないのは何故か? 驚くことはまったくない。男は、犬が六時間前から狩り出そうといているイノシシが、どこに現れるか、いまかいまかと待ち受けているからだ。たかがこれだけのことで、それ以上はいらないのだ。
人間というものは、どれほど悲しみでいっぱいでも、気晴らしになることに引き込まれたら、その間は幸せになれるのだ。】


鹿島:「パスカル的ことで言うと、イノシシみたいなことであろうと、ゲームに熱中してる場合も全部 気晴らし っていうことなんです。気晴らし っていうのは文字通りのことで、 ある辛さ、生きることの辛さ…そっちのほうに気を向かないように晴らすこと。
だから先ほどのお悩み(仕事のストレスから衝動買いしてしまいお金が尽きてゆくこと)の方も、あの人は買い物をして手に入れて 得た ものが いいとか悪いっていうことじゃないんですよ。 だから買った途端にいらなくなっちゃう。」

伊集院:「僕ねピンときたんですけど、雑誌の原稿はギリギリにならないと書けないんですけど、その原稿を打ってるのが疲れてきて、その原稿打ってるパソコンでゲームやったりしちゃうんです。パソコン打つの疲れたならパソコンから離れろよw って思うんだけど。だけど、“そういうんじゃねぇんだよ”って。」

鹿島:「パスカルは賭けとか遊戯とか そういうのが下らないって言ってる人が下らない って言ってるんです。」


◎何もしないことが一番つらい?

その一方で、気晴らしが出来ないという人も。

【お悩み内容・64歳男性】
定年退職後でやることがない。務めてたころはバリバリやっていたけれど、家にいるとテレビをボーッと見るなどで暇で暇でしょうがない。
妻からも小言を言われてしまう。
熟年離婚孤独死→無縁仏。………頭に浮かんでしまう。
私は何のために生まれてきたのか。と。


鹿島:「パスカルが言ってる人間にとってつらいのは“無為”。そして、“倦怠”。これこそ人間にとって一番つらくて避けたいこと。
無為 ってのは なんもしないこと。これが彼の根本思想。」


パンセより【私は、人間の不幸はたったひとつのことから来ているという事実を発見した。人は 部屋の中に ジッとしたままでいられないということだ。会話や賭けごとなどの気晴らしにふけるのも、ただ自宅にジッとしていられないからにすぎないのだ。】

伊集院:「休みですら何かしていないとコワい。ソワソワしてしまう。カミさんから、「じゃあスケジュール帳に、“今日は明日からバリバリ働くために休む日だ。”って書いたら?」って。何かしないといけないような強迫観念がある。」

鹿島:「しかもなんにもしないのもさらに運命づけられて、その(何もしないという)予感というのはもっときついですよ。」

島津:「だって明日から働くための休息だと思えば楽になる。っていう。もう 明日は休息じゃないっていうコトが分かってるワケですよね。それが明日以降もずっと休息・ずっと何もなし …って思うとそれは…」
鹿島:「目的があればいいんだけど、目的なしの休息ってのはつらい。」
伊集院:「ということは、「働きたくねーなー」って言ってるのは、一番不幸な状態では無い ということですか。」


島津:「なんで暇に耐えられないんでしょうかね。」
鹿島:「パスカルに言わせると“労働もまた気晴らしである”と。」
伊集院:「………? ……労働も気晴らし。イノシシ狩りも気晴らし。労働に対してイノシシ狩りが気晴らしなら分かるんですよ。でも、労働も気晴らしってことは 何から晴らすんだ? ってことですよ。何かがあるわけですね?」
鹿島:「そう “何か”があるんですよ。」

パンセより【私たちの不幸の原因を発見したあとで、さらに一歩踏み込んで考察をめぐらし、理由を発見しようとつとめたところ、非常に説得力のある答えを見出した。
それは私たちの宿命、すなわち弱く、“死”を運命づけられた 人間に固有の不幸なのだ。それは慰めとなるものがまったくないほどに惨めな状態なのである。】


伊集院:「すべては “死”に対する気晴らし。……っていうコトですか。」
鹿島:「そうですねぇ。これもちょっと考えるとあまりに当たり前のような気もするけど、まぁ パスカルというのは、人間というのは、ものすごい壁がある。ね。その前に衝立(ついたて)置いて、壁を見えないようにして、思い
っきりその壁のほうに突進してるようなものだ っていうんです。」

2012 07 09 100分de名著 パスカル第3回2


(VTR)
ナレーション:「人間は誰しも生まれた瞬間から“死”という壁に向かって進んでいます。その真実を見ないようにするため、人はありとあらゆる“気晴らし”によって 目隠しをするのです。
こうした気晴らしを 耐えず作りだすことで 人間は安心して“死”という壁のほうに進んでいる。パスカルは そう考えました。」

2012 07 09 100分de名著 パスカル第3回3

2012 07 09 100分de名著 パスカル第3回4


鹿島:「人間は何故“死”を恐れるかというと、死そのものは恐くない。あるとき突然きたら それでおしまいなんだから。だけど 死のことについて考えることが 死よりももっと恐い っつんですよ。」
伊集院:「人間は 死のことを考える という能力を持っちゃってる と いうコトから逃れられない。」
鹿島:「そこが人間が、動物とかそういうのと違う 不幸で・生きるのがつらい すべての辛さっていうのは、その “死”のことを考えちゃう。これをパスカルキリスト教の用語で、“原罪”だ と。」
島津:「『考えることは“原罪”。』」

鹿島:「原罪というのは、たとえば…生まれてきますね、そしたら その生まれた途端に借金で一億円背負ってる そういうふうに マイナスを背負って生きてきている っていうこと。だから自分の責任じゃないんですよ。自分が色々して借金したんじゃない。生まれたらもう借金してる。…そういうふうに生まれたらもう『おまえは罪はある』と。」
伊集院:「ミジンコは生命を持って生まれるけど 考えない以上はプラマイゼロ。人間は生まれた瞬間から考える能力を持ってるからもう既にマイナス100か、マイナス1000か。」
鹿島:「考えるっていうと、何を考えるかっていうと“死”のことを考えてしまうから それだけで不幸を運命づけられちゃってる。」

伊集院:「“考えることが不幸の原因”…?」



◎考えることは罪なのか?

【お悩み】人間って何のために生きてるんでしょうかね。考えれば考えるほど虚しくなります。
下らないプライドのために争ったり、欲望のために自然を破壊したり。かと思えば 小さなことでくよくよ悩んで落ち込んだりして。 なんか人間って 地球にとっての癌みたいな存在なんじゃないですかね。
ときどき空に飛ぶ鳥を見ながら思うんです『あんな風に何も考えずに自由に飛べたらなぁ』って。

伊集院:「……虚しさの極みみたいなとこにいっちゃってますねぇ。」

パンセより【人間というものは、どう見ても考えるために創られている。考えることこそ 人間の尊厳のすべてなのだ。 人間の価値のすべて、その義務のすべては 正しく考えることにある。】

伊集院:「…原罪じゃないんですか?さっきと逆のこと言ってますけど」
鹿島:「逆のこと言ってますね。」
島津:「今度は『考えることは“尊厳”』だ。と。」

鹿島:「これはですね、考えるということを さらに考える。考えることは“原罪”である というコトを さらにもっと考えると、これは“尊厳”になるかもわからない っていう。 だから 人間は“死”のことを考えますね。そして不幸になりますね。しかし“死”のことを考えることを また考える。…こういうですね人間というのは、ある事柄を もう一段階繰り上げて考えるというような思考が出来るんですよ。それが出来るか出来ないかが人間とそれ以外の違い だと。」

伊集院:「…とすると、さっきの虚しいお悩みの、答えみたいなものをここから導き出すとすると、人間って必要ないんじゃないか・人間ってダメなもんなんじゃないか。はい結論出ました。…っていうのが一番愚かだっていうコトですよね。」
鹿島:「そういうことです。
    考えるっていうことが不幸になる。それを考えるということで尊厳になる。また考えるとまた不幸になるかもわからない。」
伊集院:「そのループなんですね。」
鹿島:「しかしまた考えると尊厳になる。」


ナレーション:「人生の壁にぶつかったとき、誰もが悩み・苦しみます。しかし人間は 一歩引いて、客観的に自分のことを見つめ直すことができるのです。
そうしているうちに新たな悩みが生まれることもあります。それでも思考を停止することなく、考え続けることこそが 人間の尊厳であると パスカルは強く訴えているのです。」


伊集院:「ま、僕の中ではすごく結びつくことで、僕はこの世界に入ったときには古典落語で入ったんですね。そのときに、落語をちょっと知ることで、あざとくなる。演じ方があざとくなる・わざとらしくなる っていう瞬間がくるんです。
     よくよく考えてみると、一番最初の何にも知らないときにやったヤツのほうが良かったような気がする。その悩みに入っちゃうときに師匠がしてくれた助言が、『ゼロには戻れないんだよ。考え始めたら、考え続けるしかない。』

島津:「どんなに辛くても・辛い運命を抱えつつも、考え続けるしかない っていうことなんですか。」
鹿島:「そうですね、考えるということは必ず惨めになるっていうことと 尊厳になるっていうことは…」
伊集院:「ずーっと螺旋のように ずーっと…」
鹿島:「ずーっと繋がっているんですね。考えるんだっったら徹底的に考えろ っつってんですよ。パスカルはね。
    適当なところでくくってしまうとかね。『こんなもんだろう』と、これは考えることをやめたことになるんですよ。」
伊集院:「考えて考えて 考えぬくことこそが 正しく考える。正しく生きる ということ。」
鹿島:「そう。それが生きること。尊厳に繋がる。」


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(以上、ここまで番組内容。)


はい。
『虚しさの極み』みたいなとこにいる人です。w 私もです。ww

もうね、冒頭の伊集院さんの「生きるのがつらいのは当たり前だよ」って。だから「楽しさを求めてる」って。これだけでかなり惹き込まれましたよ。

そりゃそうですよね。最初っから楽しいならわざわざ求めないですよね。
たとえ最初ッから楽しくてもさらに楽しさを追求してしまうんだとしたら、その状態がつまんない・満たされてない っていう、欲望がとめどないような感じですものね。

『つらい人生』という“当たり前”のことに意識から抗おうとしてるワケなんですね。
しょっぱなから無理が生じるという。(苦笑)



無為。なにもしないこと、っていうことの辛さについてはすごくわかる。
伊集院さんが、休みですら何かしないといけないような気になってしまう。…っていうのは。

私もそうですし。このブログを休まず続けているのも、何かしないといけないような気がしてしまうような、無意識の強迫観念のような。

これも、既存の価値観に染まってるがゆえかもしれないけど、人が生きてるうえで最善の価値をもつことが“生産活動”だというのがあるので。
なにも生産的なことをしていないで、日々を無為に過ごすなんて生きてる価値無ぇよ。って。
だから 何もしていない、何もさせてもらえない、何も出来ない っていうのは辛い。社会に加わることが出来てないような。生きる意味が無いような気がしてしまうので。


関連があるのかはわからない、別な話ですが、
『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一・著)の感想の中で、
年を重ねても、それまでバリバリ動いてた人が、病院に入って動くことをさせてもらえなくなったら、思いも依らない病気になった。とかあったような。(うろ覚え)

自発的な活動が何かによって制される。というコトは実に不健康。かと。



『死のことについて考えることが 死そのものよりももっと恐い』
というのはすごく納得。


私はご存知の通りネガティブな思考によく傾向するんです。


たとえばシンプルに被害妄想的な対人恐怖。
あの人は私を否定するんじゃないか。能力が欠落した、外見が欠落した私を否定するんじゃないか。攻撃的な言動を受けるんじゃないか。と。
そうした中で、私が物理的に殺されるくらいなら、精神的に殺されるくらいなら、とっとと自殺でもしたほうがマシだ。と。

いじめもそうですよね。
学校行かなくてもいい。とか、誰かに相談すれば、死なずに済んだかもしれないのに。と。
けど、物理的に・精神的に攻撃を受け続けると ほかの選択肢が思いつかない。……大人になっての“うつ”も同じですよね。それ以外の選択肢が浮かばなくなるほどに心が疲弊する。
『これから先も、ずっとこの苦しみは続く。』(という妄想であったとしても)
(仮に、ほかに助けを求めたとしても、たとえば会社内での労基相談とかはなしくずし的になぁなぁですし。いじめに関しては最近の滋賀県の話をニュースで見ていたらもはや打つ手が無い。)

前回の自己愛にもあったように、自分を守りたい本能があるがゆえに自己嫌悪がはたらいてしまう。

自己嫌悪というのは そのままならただの“停滞”だけど、これが悪化していくと、
自己の心を守るために、そこから逃れるための手段としての自殺 というのは容易に想像のつく流れであると言える。


死を恐れるがゆえに気晴らしの衝立(ついたて)を作り出すとありましたけど、それが 外部からの攻撃・鬱屈とした環境が続くと、“死”によって『死を恐れること』から逃れたいと思ってしまう。
殺されるくらいなら死んだほうがマシ。っていうような。

だ け ど、今回の生きるのが辛いがゆえに楽しさを求める・気晴らしを絶えず作り出す、というのも結局 根源は同じもので。

死を恐れるがゆえに死を選ぼうとしがちなことと、
死を恐れるがゆえに行動的になるということ。
これはもとを辿れば同じ。


これにおける前者のほうは、番組中の後述にあった、
『人間って必要ないんじゃないか・人間ってダメなもんなんじゃないか。はい結論出ました。…っていうのが一番愚かだっていうことですよね』
という言葉にあるように、
自己に対しても他者に対しても早計にこのような判断を処して人にぶつけてしまうのは よろしくない行為。

いじめでも、職場内でのうつ にしても、自閉してしまい……『自分なんて要らないんじゃないか。このまま生きててもロクなことは無いんじゃないか。』って思い、自死を…自分に対して早計に判断し断罪してしまうのはよろしくない。
学校という狭い空間が、当時の年齢にしてみたら世界の全てであるように。
会社という場所が、そこにずっとイヤでも居なくては働き口が無い・働かない…堕落した人間だと思われる……というコトから 無理が生じてしまうように。(まして昔のような考え方を持ってる人だと、会社は家族代わりの空間、会社には尽くすものだ。尽くさなければならない。…っていうしがらみに絡め取られてしまう。)

だからもっと考えるしかないのかもしれない。…というか、自分の普段の領域外のほうにも意見を求めてみたりとかね。
どうしても……自己愛…が関係するのか、自分にとって肯定的な人よりも、否定的な人の存在のほうが強く心に刺さってしまう。けど、外に出れば 自分を否定する人のほうがどれだけ少ないか知ることもできる。

そして、

後者の死をおそれるがゆえに行動的になるのも、自分を守りたいから。
自分の立場を守りたいから。自分の身内を守りたいから。自分の権限を守りたいから。自分の資産を守りたいから。
そのために要らないもの・関係ないもの に 排他的になって、協力者と手を組んで行動的に“成長”していく。
(もしくは“利益”を捻出していく。それこそが今の一般的な価値で、最も尊いことであると 思ってしまってるように。)
自分にとって不利益なものは排除するように。

また、自己愛ゆえになのか、優越感を感じたいからなのか、自分より劣るものを“用意”して、他者を貶めることもしがち。“用意”するだけだから、理由はなんでもいい。
劣るものをわざと用意して、精神的に健康な状態を維持していって、楽しく生きていこうとしたり。…楽しく生きるために。
自分を守るために、自分が生きていくために環境を構築し、環境を守りたがる。




おおもとの、
心の弱さは同じなのに。
ただ等しく、死を恐れているだけなのに。



この第3回での良かったのは最後にあった、伊集院さんの落語時代の師匠の言葉という、
ゼロには戻れないんだよ。考え始めたら、考え続けるしかない。
というのと、鹿島さんが言われた、
考えるんだっったら徹底的に考えろ っつってんですよ。パスカルはね。 適当なところでくくってしまうとかね。『こんなもんだろう』と、これは考えることをやめたことになるんですよ
というところ。
自分であれ、他人であれ、早計に判断しない。結論を出さない。

結論や結果のないもの、なんでも白か黒かでないと納得しないということはありますが、世の中に絶ッ対正しいものなど無いように(立場や経験や環境が誰しも異なるのですから)、可能性を常に提示すること、それこそが考える“尊厳”なのではないでしょうか。