藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 24”

[外部リンク] : 『生き延びるための「障害」――「苦しみ」の行き場がない社会 ―― 荒井裕樹』(SYNODOS JOURNAL)

そもそも、ある人物が抱えた「苦しみ」を理解するには、当人のひととなり、生育環境、あるいは現在直面している入り組んだ人間関係など、多くの事情を知らなければならない。逆に他人に自分の「苦しみ」を分かってもらうためには、それらの込み入った事情を説明しなければならない。しかし水平的な関係性のなかでは、「込み入った事情」を説明するのは、説明する側にとっても受ける側にとっても難しい。そのような「苦しみ」を具体的に説明しにくいのであれば、まずは自分が苦境にいるというメッセージをそれとなく発し、自分が「苦しいこと」を伝えたくなる気持ちが生じるのも故ないことではない。

(上記リンク先より文中一部抜粋)

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[当ブログ内リンク] : 『“【けっこう】[FC2TB]第1438回「あなたの身につけたい知識」【いっぱい】”』

ここで、
色んなジャンルの人同士を話し合う場を、機会を持ってみたい と書きましたけど、ま、そんなようなコトでして。

人が持っているものは、その表面的なものからは全て語れない 
からこそ。


私が過去に書いた作品に、
「見ているのに、無関心なんだ!」
ってセリフ使ったのがありましたけど、それとも繋がりまして。


だから同じ環境、同じ趣味間の人間関係同士でも、いろいろな齟齬が生じるワケで。
人格・精神・気質 と、これまでも その人間自身の特性?というか個性? と称すべきものかわかりませんけど、それが混在する中で生じるもの というのに違和感を色々感じるからこそ なんですよね。

某・生活保護の問題も… じゃないですけど…。
あれって、それぞれの多くの立場の人にとっては善意ですからね。

芸人にとっての親族が受ける生活保護は親族への善意。
それを糾弾する人は、受給できない人に対しての善意。
(ま、給付対象者を選別して、そこにかける税金を少なくしようとしてる人もいるのかもしれませんけどね。)

(わからないこと、事情の背景が見えないことに下手にツッコむのはやめておきますけど。)


ま、
結局 明確な事情や、線引きが曖昧なんですけどね。
そんな中で、我慢や忍耐が美徳という日本人気質があって、心が弱い人は言い出せなくて、ほんとうに生活が困窮してる人が声を上げられなかったりとか。
また、自分より得してる人が許せなかったりとかね。

[外部リンク] : 『第164回 「誰かが自分より得・楽してるっぽい」問題。の巻』(マガジン9条・『雨宮処凛がゆく!』)


で、
人の苦しみは理解できない というコト。
人の苦しみが理解されてる という嫉妬。