貧困についていっておくと、どんな頑丈で今稼げてる人でも、手足の一本吹っ飛んだり、ガンになったり、目が見えなくなったり、脳の一部が壊れるだけで一瞬で貧困への扉は開くよ。それも予告なしに唐突に開くよ。その扉から守ってくれるのは「社会保障」だよ。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2020年8月22日
人間、あっさり「働けない身体」になるよ。たまたま足が滑ったとか、車にぶつけられとたか、寝違えたとか、ヘッドホンで少し大きめの音を聞いたとか、それだけで十分に働けない身体になるよ。そしたら貧困一直線だよ。いつまでも健康ではいられないよ。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2020年8月22日
貧困はマインドセットの問題でなくて、身体の健康の問題でもあるよ。健康ならどんな仕事でも耐えられるけど、自身や家族が健康でないと働ける幅がめっちゃ狭まるよ。そして健康はちょっとしたバランスで簡単に崩れ去るよ。自己責任の範囲はそんなに広くないよ。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2020年8月22日
健康な人は気づきにくいけど「健康」という状態はほんとうに薄皮一枚のバランスで危うく成り立ってるものでしかなくて、そして、その健康というものが奇跡的であるという前提なしに組み上げられた社会はとても危ういものになるよ。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2020年8月22日
前にも書いてると思うんだけど、「自分がそうならない可能性」って全くないとは言えないじゃないですか。
自分が否定してるもの、自分が関心を寄せないもの、その対象に自分がならない可能性が、自分がとても親しくなるであろう知り合う人が、自分の家族が そうならないとは限らないじゃないですか。
だから私はマイノリティのこととかここでも書いてるんですけど、なかなかねぇ。
あまり知られてない病気や症状だと判明するまでにたらい回しだったり、保険が適用外だったりもしたり。
で、
体の自由が効かなくなったら死ぬ って、安楽死したい って思うけど、なかなか難しいよね。
このコロナ禍という不安が蔓延してるご時世で、いつどうなるか分からない って人が多くいて、
誰だって不安なのに他人の不安は知らぬ存ぜぬで一方的に批判したり無関心だったり。
で、
経済状況も異なれば、体の調子もそれぞれ違って、つい無理してしまう人もいてそれが祟ってしまったりね。
だから誰と出合うかで救われることもあるんだけどね。
だから知識と優しさが繋がってくる部分もあるんだけどね。
色んなことに対する理解と保障がもっと広がればいいんですけどね。
生きてるだけで丸儲け とか、ほんとにそうは思いにくいところがありますもの。
自分が、身内が、ただ生命維持だけの為に存在時間を使ってることになったとき、そこに尊厳はあるのか とかね。
『文化』ってなんの為に在るのか とかね。
思うところはありますよ。色々。
少なくとも今は、幸運にもそこそこ自分も周りも健康に生活できてるから、ありがたいなー って思ってるだけですよ。
でも、しんどくなったら助けておくれよ社会保障。
たまたま近くの “出来る人” に負担が行きすぎないようにね。
本当は助けられたいんですから、どうにもならなくなったら自殺か殺人ですからね☆
(って安易にそうもいかないだろうな って分かってるから「無理」だろう って思うけど、そう思いたくなる心情はありますからね。)
病気を笑う者は、いずれ必ず病気に泣く
— おると🔨🐦整形外科医 (@Ortho_FL) 2020年8月28日