藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『瀬戸内寂聴の東北青空説法』を見た。”

2011.10.22.O.A.

瀬戸内寂聴の東北青空説法』を見ました。

番組で気になったところを中心にメモ。↓


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岩手・陸前高田にて。
『失ったものは返ってこない。 似たものを作ることは出来る。』
『しかし 失った心は返ってこない。本当に大切なものは 目に見えないもの。
  神・仏・亡くなった人の魂・みなさんの持ってる心。…そういうものが大切。』
『何を失っても。心を失わなければ 生きていけます。』

『亡くなった方は私たちの代わりに死んでくれたの。苦しみを代わって死んでくれた。“代受苦(だいじゅく)” それで今 私たちは生きている。』


岩手・天台寺にて。
『どんな辛いことも、それをバネにして生きていくことが出来る。 “定命(じょうみょう)” それだけの命だけしか生きられないと決まってる。 いつか死ぬから 今日一日をしっかりと生きましょう。』

『いい人がね、一生懸命まじめに働いてね、家族を愛してね、そういう御方が、もう みんな亡くなってるのね。 いいことをしたら いい報いがあると 昔から言いますけど、そんなこと無いよ。悪いことしたって図々しく生きてる人はいますからね。
  だけど、そういう矛盾や相克が山ほどあるのがこの世なんですよね。だからお釈迦さまは「この世は苦だ」と仰ったのね。そういうのが無ければ苦しみは無いですよね。
  だけど そういう苦しみが無ければね、哲学も起こらなければ、宗教も起こらなければ、文学も起こらないんですよね。ですからそういう人間の糧になることは、やっぱり人間の不幸を踏まえて生まれてくるのね。
  でも、時がそういう苦しみを薄めてくれるのね。時が薄めてくれるのが悔しいときがありますよね。もう忘れてならないのに、フッと気がついたら、亡くなった人のことを 朝も昼も夜も考えて。3年も経つと 今朝は思わなかった、昼間は忘れてた そういう時が必ずくるんですね。でもそれは それが救いだからね。そのときに忘れた自分を責めたりしないで下さい。忘れさせてくれるのが 時の所為ですよね。』


福島市へ。
『苦しみが分からないと言って済ませられない。』
『“無常” 常では無い。 今 ここに居続けることは 続かない。 どん底の下はない。どん底についたら上がるしかない。ボールをついたら弾むように、だんだん良くなっていく。』

10月。石巻市へ。
2人の高校生のラジオに寂聴さんがゲスト参加。
『“若き日にばらを摘め” 若いときは手に怪我をしても、ちょっとすればすぐ治る力がある。心の傷も 若いうちはすぐ治る。若いうちはキズつくことをおそれないで と。』
『笑顔にしてると幸せがくるのよ。大変なことがあって、また悲しい顔してると、また不幸がやってくるから、笑顔を人に与える。“和顔施(わがんせ)”人を幸せにするのよ。
  にこにこしてる顔で人に接すると 相手も幸せになるのよ。』

石巻 雄勝町へ。
『視点を変える。エネルギーをみんなから貰ってる。自分だけが幸せになるんじゃなくてね。  自分が生きることで みんなが幸せになること。』


再び 陸前高田。吉田邸の復興ボランティア。
『“忘己利他(もうこりた)”。 いいことは人に与えて、悪いことは引き受ける。人の幸せのために尽くしましょう という仏教の根本精神。 見返りは無いという美しい行為。』


再び 岩手 天台寺
『自分の信念に沿って生きていきましょう人間は一人で生きて 一人で死ぬ。』
『“犀(サイ)の角のように ただ一人歩め”。 自分をしっかりする。一人が寂しいから 友達が、夫・妻がほしい。けど、一緒に死ぬことは無い。 自分の人生を生ききりましょう。』


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被災地を訪れて、「宗教で救えるのか」とこばされたところがあったりなど、達観されてるような印象をあまりお見受けしなかったんですね。だからこそ地に足の着いた感じで聞き入りやすいというか。
愛した人をたくさん亡くして、忘れたり思い出したりとかね。

“若いときについた傷が、若いからこそ癒える”というのは、 じゃあ虐待とかどうなんだろう?と思ったりもしましたが(まぁ、震災とは関係ありませんけどね。でも、ほんとうに幼い時に、こういう震災があったことで、揺れたり夜とかが特別怖くなってしまうこともあるのでしょうから)、それもその直接的な痛みを受けることから解放されてからの、時が解決してくれることを願うばかりなのでしょうか。


あと、青空説法ではないところで、1回目の天台寺での説法のあとに中であったお話の、『矛盾や相克』についてとかがね、心に残りましたね。



いいことをしたところで、いい報いがあるとは限らない。
けど生きてれば いずれ苦しみは必ず訪れる。
忘れることも、忘れ去られることもあるだろうけど、“自分”をしっかり持って生きる という、そこに帰結するのでしょうかね。