藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 6:『成功について』”

内田樹さんのツイッターで、ブログを更新しましたとの書き込みを見て、ブログを見に行きまして。

9月13日付けで“成功について”という内容で書かれてありまして。

読んでて一番 腑に落ちたのは、

成功というのは、「できることなら、あなたと立場を代わりたい」という、「成功していない人間」の欠落感や、羨望を(仮説的にではあれ)勘定に入れない限り成立しない、ということです。”

というところで。

当然、書いておられる通り、成功していても幸福でない人もいれば、成功してない人でも幸福な人はいる。

なんていうか、幸福そうな人が羨ましいから なにか人生が成功しているように “ 見 え る ” っていうかね。

他人を見るたびに“欠けている自分”ばかりが目についてしまい、妬んだり、羨んだりしてしまう。と。

相手の その幸福が欲しい。と。

ところで書いててよくわかんなくなってきたのですが、成功って目標でもないし、結果的な産物の第三者評価みたいなものだから、自分ではどうにもならないんですよね。

私の知人でも、『この人は成功してんなぁ〜』っていうふうに思う人はいますけどね。羨ましいなぁ〜、って思いはしますし、悔しいとも思いますけどね。

ちなみにバシャール×本田健さんの本の中で、『豊かさとは、“やりたいことを、やりたいときに、やれる能力”』とありましたけど、それが叶えられてるコトも羨むポイントでしょうかね。

で、

“最終的に自尊感情を形成するのは「私にはあなたが必要だ」という他者からの懇請の言葉に尽くされると思います。
自尊感情」というのは「オレはえらい」という自己認識のことではなく、「私は生きなければならない。私にはやらなければならない仕事があり、それは私以外の人間によっては代替できぬからである」という他者とのかかわりからもたらされるものだからです。”

これですが、

確かにそうであれば良いのですが、仕事でもなんでも、人は代替可能なものでしかないと思うんですよねぇ。

『この人にしかできない仕事』というよりか、『誰でもいいから技術を持った人手が欲しい』とか、“趣味の通じる友人”でも、『その話が合う人が欲しい』、『話の聞ける人、面白い話ができる人なら誰かが欲しい』とかね。

自尊感情を満たしてくれる人が居るなら誰でもいい』けど、『その人が“私”以外の“誰か”の自尊感情を満たしていたら、“私”は満たされない。』ことも考えられなくはないだろうか。

小さい子ども同士が、親の取り合いをするような。幼い子どもの頃、自分の友達が別のクラスメイトと仲良くするコトが なんだかイヤな気分になるような。

しかしまぁ、なんだか悲観的なコトばかり書いてしまいましたが、

内田さんのブログの問7で個人単位での成功についての項がありましたが、しいて私なりに言うならば、そんな悲観的なコトも、成功なんてコトも考えたりしないこと。 じゃないでしょうか。逆説的ですが。

励むことに励めば良いし。自尊感情もゴチャゴチャ考えず、求められる一つ一つ、一人一人を大切に接していけば宜しいのではないでしょうか。

成功についてで、

人を羨み・妬むなら、その人の努力も妬め  って言いますからね。

ところでさっき めざましテレビの占いで、『今日はやる気が空回りしそう。成功をイメージすると良いです』っていう星座があったんですが…、これはまた…。(笑)

短期的な物事の達成についてですからねぇ……。(^^;