藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』を見た。”

2009.08.17.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』を見ました。

FILE043の時と同様に今回も東京藝大の宮田学長が自転車に乗って登場。

以下、不足点もあるかもしれませんが、番組内容をざっくりと、


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校門に入り、副学長の渡邊さんも。中に進むと管楽器を持った生徒がファンファーレで迎えてくれたり。

先ず、音楽学部へ。
『指揮者をやってみませんか?』という事で、まず田中氏がちょっとやってみる。…と、ぐちゃぐちゃに。
田中氏「『常々、指揮者 要るの?』って思ってたけど、本当にぐちゃぐちゃになるんだー…」と。
もう1回 田中氏 やってみると、なんとか様になってた感じ。

続いて 太田氏。
……。
田中:「陶酔し過ぎじゃない?」
太田氏 なんか感情全開で指揮してるけど、オーケストラとズレてるような…。

宮田学長「先日まで オレも指揮いらないんじゃないかと思ってた」とか。
田中:「俺らと同時?」

そして太田氏、指揮者とオーケストラの関係を 男女の性行為に喩えたり。
“自己満足≠自己表現”

次に、音楽学部 オルガン専攻へ。
オーケストラの場所から、少し上の位置にある。
弾いてる姿を じっと 先ず 見て、 で。
太田氏、実際にやってみる。鍵盤と横の管が連動してるようで、音の出方も違う と。

生徒:「(オルガンで演奏することは)オーケストラを一人で演奏できる っていうのがすごく魅力的。」
渡邊:「自分のこの操作で、色々な音が作れる。」
別の生徒:「それは新しい個性であって、すごく楽しいです。」

学長から『行くぞー』と呼ばれ、音楽学部をあとにする。

田中:「いやー、音楽 すごかったですねー」
宮田:「良かったでしょー」
田中:「学長も音楽に関しては、殆ど なんか 我々と…」(笑)
宮田:「はっはっはっは」(笑)
太田:「専門が違うよね。」

そして次の場所へ。
田中:「先生のテリトリーですね。」
美術学部へ。

生徒や、現場の大工さん(?)が休憩している中を抜けていき、日本画・油絵などの制作アトリエ 絵画棟に到着。

ちょうど 油絵の講評会。作品を互いに批評し合う時期だという。
美術学部 油画専攻。
壁から手が生えてる(?)石膏を作った生徒に、教師と爆笑問題の2人が尋ねたり。

美術教師:「メッセージを込めてほしい」

まだ 手を作った生徒の作品について喋ってるのに、早くしてほしい と言われ 次の作品へ。
生徒が箱の中に入っていて、受け答えは箱の表面についてるディスプレイで文字が流れるような。

太田:「引きこもってるんだか、コミュニケーションとりたいんだか わかんない。」

次に 太田氏が気に入ったという 淡い雰囲気の絵に。にじむような感じ(?)の絵で中に鏡が入っているという。
太田氏は気に入ったようで、絵をえらい近くで見たり。

次にパフォーマンスの作品という事で、なんか… とっぴな行動をしたり。メイクもしてるけど、なんか変な醜いメイクをしてたり。

先生:「何で そういう醜い方に描くの?」
生徒:「本当の自分 っていうのが 普段のメイクの時に出せなくて、普段みんなに見せれない、自分の表情や 行動などを見せれる。…ということで。」

先生:「絵を描く という行為の本質にダブることがある。」

また、別の先生が、
先生:「こだわり ってあるんですよ 表現者 ってね。 こだわりをどこから引きずり出してきて、みんなに理解できるようなものに表現を変えていくか。」
(油絵科だけど、キャンバスだけではない。自身であったり、立体だったり。)
宮田:「自由ってすごいね」
太田:「僕はこれが 自由じゃないと思います。」

“自由 って 一番難しい”


美術学部をさらに進み、彫刻棟へ。

宮田:「さっきの絵画科の自由な表現から、素材が出てくると 表現の仕方が変わってくるよね。」

丸太など、木を削って創られていく作品を見ていき、さらに進んで 陶器を作るとこへ。
行った時は休憩中だったようで。ごはんできたら鳴らす ドラ(?)みたいなのを鳴らしたり。

進んで、デザイン科へ。
ツノを表したティアラを見たり。
で、何か統一されたテーマがあるそうな。

田中:「全体のテーマが一つあるわけ?」
宮田:「油ではさ、自由・勝手にやれ だったんだけど、何か1個はあるわけよ。」

《ナレーション》:
仏像をモチーフにしたフィギュア、折り込み広告で作られた日本刀,ふすまに…まんが…?

デザイン科の先生:「これ実は伝統とデザイン っていう課題なんですね」

古美術研究に 京都と奈良にも行ったそうな。

太田氏、見て 「すごい!」と言ったのは、『雑誌のキャッチコピーの提案』という作品。
人に、顔 一面に 字が施されている。

作った生徒に聞く。
生徒:「お寺で 御朱印 っていうのを集めたんですけど。で…、これを見て 筆の面白さを感じて。 ポスターと中吊りと 雑誌の表紙と キャッチコピーっていうものにつなげたんですけども。
    雑誌のキャッチコピーって 多くの人が目にするので、それによって少し身近に感じられるんじゃないかなと。
    今 ちょっと崩し字で書いてあって 読めないと思うんですけど、この御朱印の方も読めなくて なんて書いてあるんだろう って感じなんですけど、でも、読めない けど カッコいい 気になる。っていう。
    そういう… あれと。(笑)」

田中:「うん わかるわかる。読めないけど カッコいい。 デザイン的にカッコいい。」
生徒:「で、気になるから、つい 見るかな と思って。」
太田:「つか、どんだけ自分が好きなんだ」
生徒:「…絶対 言われると思ったんですけど。(笑)」

デザイン科の先生:「デザインっていうのはね、相手がいて、相手に伝えることがすごく大事なこと」

次に『朝顔』の作品。
薄い布みたいなヤツに 朝顔がデザインされたもの。その布を重ねて表している。

先生:「何をあなたは伝えたかったの?」
生徒:「本当は最初 夕顔を描くつもりで、古典の源氏物語の中の夕顔から取ってきて やったんですけど、夕顔が手に入らなくて 朝顔になっちゃった。」

別の先生:「西洋の立体感の出し方と 日本の立体感の出し方の違いを表現したかった。」
太田:「先生が作ったわけじゃないから!」(笑)



“創作の現場を見てまわり
太田 光は スタッフに こう言った。”
“討論があるんだろ 話そうよ”


“総合工房棟の広場には
学生たちが詰めかけていた。”

“いつ
 どこで
 誰に
 伝えるのか”

爆笑問題の2人、宮田学長が 生徒で囲まれた中心の席へ。
今日、見てきたことを振り返り まず 音楽はすごかった。 けど 太田氏、
だからといって自分でそういうのを聞きにホールに行くかと言ったら 行かない と。

太田:「音楽は その場にいる人にはものすごいけど、引っ張ってこられるまでのものがあるのかな、…っていうことは考えたね。
    だから、デザインとかだとそっちの方が “人目には触れる”
    つまりだから伝える っていう意味では、そっちの方が 人にいっぱい伝えてるんじゃないか、――――。」

ここで“ジャズ界のカリスマ”番組OPの曲も担当している、菊地成孔トークに参加。
東京藝大で音楽理論の講師も勤めているそうな。

クラシックが 今も売れてる。ということで、辻井さんとか。のだめカンタービレとか。 「マンガやゲームになれば売れる」という菊地さん。
太田氏、近くにいた生徒に、「クラシックやる人は 普段からクラシック聞くの?」と聞くと、「別もの。」と。
ポップスとかの方が伝わったりするだろうから『かなわねぇなぁ』って思わないのかな、と太田氏。

太田:「表現ってさ、もっと多くの人に共感されたい って絶対あるでしょ。」
『音楽に限らず 全てが』 と 宮田氏。

副学長 渡邊:「太田さん、前から 数の問題をすごく気にしてますよね。」
太田:「気にしてます。」

渡邊:「数 伝わればいいのか、って、絶対あると思うんですよ。
    僕らはやっぱりたくさんのオーディエンスには伝わらないかもしれないけど、たくさんの人に近い数には伝わってるわけですよ。そこで僕らは充実感を覚えて 仕事はしてるわけですよね。」

デザイン科 松下先生:「情報にはですね、量とかスピードとか質とか色々あるんですけど、
    我々 思うにね、質に関わってるんだと思うんですね。需要があるところばかりに目を向けていると 本質を外すかもしれない。」

太田:「本質って 何ですか?」
松下:「やっぱりそれは受け手との関係をつくる ってことだと思うんですよ。」

太田:「それがねー、僕 最初 指揮やらせてもらったときに 呼吸を合わせてすごくいいもの共同で作りたいな と 思うわけだ。
    で、それはやっぱり、対 大衆にしても同じなんです。」
宮田:「そりゃ そうだよ。」

太田:「でしょ。だから みんなが共感できるように、より 多くの人が さっき、指揮を 一緒に、音を鳴らしたい っていう気持ちと 変わんないですよね。」

美術学部 保科先生:「大衆 っていうのが先にあるんじゃなくて、こう 最初に時代の精神を個人によって引き上げていくことが先だと思うんですよ。 それがこう 大衆にどんどん広がっていく っていう。
    …大衆を目的にして―――それを目的にして表現が発生するわけじゃないと思う。ベクトルが逆のような気がする。」

太田:「それは どうですか デザインの場合、違うよね。」
松下:「いや、そうでもないですよ。環境を作ることが、コミュニケーションを作ることが大事なんで 必ずしも大勢の人に向かってそれが、わかりやすいってことが、一番の優先順位じゃないと思う。」
太田:「そうかなぁ…」


ここで宮田学長、渡邊副学長が少し喋り、田中氏が 学生さんにも色々聞いてみたいと思います ――と切り出す。

生徒:「(クラシックとポップス 落語など、大衆に伝えることについて、)どんなに呼んでも10人しか来ないとか、そういう人たちの芸は本当に意味がないのか。」
むしろ そこを大衆をつなぐ何かはあるのかな と。

太田氏、確かに 落語は面白い。立川談志のとか 本当はゴールデンタイムでやりたいくらいだ と。けど、視聴率が取れないだろうし、スポンサーも付かない …漫才もそうなりつつあるだろう と、だから おれは迷ってるけど…――
太田:「人が見ないんじゃ しょうがねぇだろ って」


音楽学部 熊倉先生:「ここにいる 表現者のみんなは勿論、一人でも多くの人に見てもらいたい っていう野心、ギラギラであることは事実だと思うんです。
    でも、今 ここのためだけに 我々は作っているのか っていう自負も あると思います。 もっとずっと先、自分が死んじゃったあと に、あるいは 今ここにいない誰かの価値観を変えられるかもしれない という。妙な野心があるのが芸術家じゃないかと思うんですけども。」

太田:「だからね、芸術家の持っている問題点って、その あやふやさだと思うんだな。
    あの、だから おれのやっていることは芸(術)じゃないんです。逆に言うと、そんな何百年かけて伝えたいものでもなんでもない。ただ、今 その場にいる人に おれ、こう思ったんだ を伝えたいだけだから、喋ってるしかないわけ」


宮田:「どうだろう 僕なんか 専門が工芸なんだけど、工芸の方から粋のいい質問ないかね?」

――と、タオルを巻いた “田中:「工事の人じゃないよね」”生徒が話す。

生徒:「(話、ちょっと違ってきますけど、と前置きして)今、爆笑問題 お2人 藝大来てて、藝大っていうとやっぱりスーパーエリートだと思うんですよ。
    超専門家の人たちがいて、その中から本当に芸術って出るの?って問われると思うんですね。つまりエリートはエリートだけの 閉じた 芸術のためだけの空間じゃなくて、そこから本当に芸術が生まれるのか っていうふうに思うことはあります。」

太田:「(日大芸でのことを話をし、ぬるま湯につかってたみたいだった――)つまり学生時代って若いし、まだ自分の結果出てないから何にも で、みんなで芸術論 こうやって戦わしてきゃあ解消されちゃうみたいな――…。
    それがだんだん ここ(芸大)にいること自体が、どんどん どんどん 萎えてきちゃって、ダメにしちゃうんじゃないか その危機感は僕は学生時代あった。ましてや藝大となれば これは 親も文句は言わないし、世間もそう見ますよね。」
宮田:「そうでもないよ」

太田:「でも まぁ、彼らからそういう話が出てくる っていうのは おそらくこの中にいて、自分にはもしかしたら もうちょっと 貪欲さ、表現しようというものに対して もっと野心とか いいのか ここにいて、っていう不安はやっぱり感じなきゃ芸術家じゃないよね。」
宮田:「それ、みんな持ってるよね。」

“湧き出してしまう 何か…”
《ナレーション》
 芸術はときに人々の求心力となり、社会を挑発し、時代を予見してきた。
(ここで岡本太郎の発言が)
“芸術は 無条件だから 爆発だ”


菊地:「私、ジャズやってるんですけど、さっきずっと お話しなさってた 権威の問題だと思うんですよ。最初、権威的なものが、だんだん下位権威…――(下のものが上に、下のものが上に…)  僕が思うに 問題は たとえば今 太田さんが仰ってた クラシックはもうキャンプだから、キャンプはもう古くさい権威 ってことだけど、キャンプだから誰も聞きにこない って事じゃなくて 尊敬していると思うんですよね。
    僕 ジャズやってます って言うと ジャズなんか聞いたことない人、うわー すごいですね 素晴らしい それは。って言うんです。だから尊敬してるの。尊敬してるんだけど 聞きに来ない っていう。
    たぶん クラシックもそうで、クラシックやってるの?だっせぇー って あんまり言われないの。尊敬されたまま 生殺しにされている。」

田中:「それって でも ジャズやられてて、ヤでしょ?」
菊地:「イヤだけど しょうがない」
田中:「これはもうしょうがない?」
菊地:「そこで話 ぐるぐる回っちゃうんだけど、えーと、時折(ジャズ)市場が地上波に出て 安心するような、やっぱり本当に見たらすげーじゃん っていうような。要するにレコンキスタ 失地を回復するような感じで っていうことしか今は考えられないですね。
    っていうか 我々が思ってるよりも コンピュータのアーカイブっていうのが強くて、…――芸の片鱗をYouTubeで見てみようなんて ってことになったら 昔に比べたら だいぶ見れるよね。」

太田:「末端で どう伝わっているのか 分からないで、平気でいられる っていうのが、芸術家の特徴なんじゃないかな。」
宮田:「いやいや、そんなことないな」
太田:「この間 学長と言い合ってて、何かが違うよな、と おれと学長の」
宮田:「違うよね」
太田:「――違いっつーのは、その構え方だと思うんだよね。」
(宮田学長 首をかしげる
太田:「あのね、こういうのって 300年後 誰かがどう思うかなんていうところのさ―…、何かこう 遠ぉーい感じがするわけね。」


太田:「――…そういう切羽詰まった感じがね、本当に表現するっていうことの、ほかのことは考えられない。」

美術学部 坂口先生:「太田さんが今、他人の死のこと(言われましたけど)たぶん僕ら 純粋なアートっていうものがあるとすれば、自分の死を問題にしている っていうことはあると思います。
    自分が日々死ぬ。 死ぬ っていうか 変わっていく っていうことが前提であって、今 出さないと その自分はもう終わりだ っていうような切羽詰まったものがあって、何かに触れた衝動っていうのが やっぱし、表現に繋がると思うんだけど、太田さんは 即、会話でやる っていう、じゃなくて、ちょっとタイムラグがある。その衝動と出すまでの間に 人前では見せれない、何か こもってやる部分がある。」

宮田:「たとえば 僕ら 喋れるよ。色んな表現力持ってるじゃない。例えば 後ろに彫刻あるじゃない 彼らはさぁ、寡黙な中にでも、ちゃんとこう表現したいってことが――すげぇ主張性あるじゃん そういうものも 作ってる連中とかさ、色んな連中が今日は見てるわけだよね。
    太田さん、ちょっと1個に偏りすぎてない?」
太田:「そうかな?」


生徒:「今、聞いててすごくもどかしくなったんですけど、私は世界にたくさん糸がパーってあると思うんですね。で、太田さんはその糸っていうのを すごい短い距離でこういう。…――想像の距離っていうのは一人一人違うと思うんです。
    どの糸を掴んでいくか っていうのは その人の感覚だったり、勘だったり、嗅覚だったり その個性だと思うので、今 それをここで言うのはちょっと不毛に思えて。」
(笑)

“選びとったやり方
 それぞれの距離
 それぞれの 糸”


美術学部 池田先生:「(言葉にならないことが 体を動かして ジェスチャーしたりすること)その もどかしさが、人を動かすと思うんですよ。 それは言葉の世界。ここに今いる人たちは音楽とか、美術やってるわけだから、そのもどかしさ ってのがさ、そんな すぐには ね、出せない。
    1年くらいかかっちゃう場合もあるし、翌日 出るかもしれないし、っていうので 時間の出方がね 悶々としてることが随分あると思う。」
太田:「わかります。」
池田:「客観的なのか 客観的じゃないのか っていうのは自分でもわかんない。」


太田:「おれ、極端な場所にいると思うんだ 逆に言うと。(自分がこのジャンルにいたらもどかしく感じてしまうから、みんなはどうなんだろうって)本当に少ない人にしか伝わらなかったら悲しいじゃん って。」

音楽学部 毛利先生:「僕は 社会学を 音楽学部で教えていて、300年って みんな その言葉が出たからその言葉につられているけど、そこまで考えてないと思う。
    明日どうしようとか、カネがねーなー とか、その場でいい演奏しようとかリアルにやっていて、スポーツ選手があと一秒速く走りたいとか、そういう感じにすごく似ている。」

で、コミュニケーションしたい ってのはどうなのか と…毛利先生。
 また、伝わる人数、伝えたい人数とか。で、田中氏から 漫才をやる時に キャパの違いで伝わり方が違うっていうか、量がもの言うわけじゃない。
けれども、
毛利:「より上手くなれば遠くに届くかって そういう問題では全然なくて、全然違うアプローチをやっている、って感じるのがすごくあるんですね。」

オルガンをやっている生徒から。オルガンが一線を引かれているような感じで、オルガンやってる って はぁ? って感じで。
生徒:「私たちは来てもらってナンボ。生だからこそ伝えられるものがある。正直 まず そこに来てもらえない。」

そして、『一回オルガン聴いてもらって合わなくて離れていくなら構わないけれど』と続けて、
生徒:「それをしないで知らないまま終わられるのが、一番やっぱり表現者としては嫌なんですね。
    たぶん 若手の芸人さんも、きっと そのような状況だと思うんですね だけど彼らはテレビに出てくるような人になるじゃないですか。私たちは一体 何をしたらそういうふうに――…。」

太田:「そこは重要な――」
田中:「じゃ これは学長に――」

宮田:「どうなんだろう 例えば僕だって たまたま学校にいるけどね 野に放たれたとしても、やはり表現するものは変わらずやってるんだと思うんだよね。生きてる ってことは表現してる。」

太田:「そうだけどさ、誰も見てくんない って言ってるわけだよ。」
宮田:「いやいや」
太田:「オルガンなんか誰も来てくんないんだって」
宮田:「(でもその前に)オルガン奏者で在るべきだよね。」


トロンボーン奏者の生徒が ジャズをやっているけど、お客さんが 2、3人しかいないこともある。けど、それをやめて途切れさせてはいけない。
生徒:「生命のように繋いでいきたいな っていう意志があって」

太田氏、今はお笑いで1分ネタというのが主流なわけ。じゃないとチャンネル変えられちゃうから。本当は10分、20分、1時間のライブを見せたいんだけど。…と し、
太田:「プライドが傷付くんですよ 我々でも。
    そこで大事なのは、そのジャンルが大好き っていう気持ちと 平気でそのジャンルを乱暴なものにいじくられても、いいよ これ っていう それが 両方必要な気がしてるわけ」
生徒:「確かに1分ネタで笑わせる っていうものがあっても 1分のネタしかやらなくなってしまったら、それは完全に 自分の表現したいものを見失ってる状態だと私は思うんです。」

太田氏、『自分たちもボキャブラ天国で――…それこそダジャレで。だけど そんなことやってらんねぇよ っていうヤツもいた。ジャズだって CD出す時にレコード会社から注文付けられる』とか。
太田:「自分のジャンルを人に知ってもらいたいけど、そのために魂売らなきゃならない局面がプロとしてやっていく上では絶対にあると思うんだよね。
    誰しもあったよね そんなこと。そん時にどれだけ突き放せるか そのジャンルを」

漫才師であろうが…ジャズ奏者であろうが、ポップスをやることで…。
“愛しているから 突き放せる。”


美術学部の生徒の発言。オルガン奏者の方でも場所はある。教会にはオルガンがあるから 自然に人が集まるし、
生徒:「攻めるべき、 国際化すべきではないかと。」

美術学部 北郷先生:「(さきほど 100年、300年の、或いは1000年、2000年と 話がありましたが、)今までの歴史の中に残ってきた その中に 残っている中身は何だ。それは本当はもっと社会のど真ん中にあってもいいんじゃないか。」


油絵をやっている生徒。やっぱり自分もたくさんの人に見てもらわないと けど、太田氏から『油絵なんて見る人少ないだろう』と。
生徒:「社会自体が変わるべきだと思うし、…大衆に触れられる環境づくりをどんどん どんどんやるべきだと思うし。
    だからどんどん ヨーロッパとか行っちゃうし。」


太田:「おれ この前ね、東儀秀樹さんとお会いして、笙(しょう)のね。 あの人は やっぱジャズやってたらしいんですね。で、笙のすごさは他じゃ表現出来ないものがある。
    だけど雅楽なんて誰も今や聞かないわけだけど、やっぱり この笙を 今のやつらの共通語にもう一回直してやらないと ダメだって思ってる。」
菊地:「今、太田さんが言う 共通語っていうのは マスメディアのことに聞こえちゃうんですよね。」
太田:「つまりわかりやすく…」

菊地:「そうだけど その感じがテレビが中心にあるってことの考え方だと思うんです。
    その、インターネットも ちょっとした奇妙なおもちゃじゃないですよね。一つのマスメディアになりつつある。
    批評もされるし、作品加工もされるし だから その流れの中で、テレビが中心にあるっていう 一種の信仰みたいな。 それが変われば世の中変わるわけで 具体的にもう変わりかけてる っていう中での――…」

“日本国内のブログ総数 1690万”
“絶えず 更新…?”
“絶えず 表現…?


生徒:「さっき インターネットとかそういう話が出たんですけど 本当に伝えたくて、そういうメディアに流したとして、今もこう 再生数とかいって、わかるわけじゃないですか。作品を何人も見てるっていうのが リアルタイムでわかるわけじゃないですか。
    ただ そういう人が世界中にいっぱいいる世の中になっちゃったわけですよ。 それがちょっと悲しいっていうか。みんな同じ土俵に立てる反面、みんな本当に私の作品をわかってくれているのかな っていう 不安っていうのも また出てくるわけですよ。
    どんどん希薄化されている っていうか、私にとって 今 この現状は すごい 表現者として 悲しい ちょっと切ない感じがするんですけど。」

田中:「それ 確かに難しいのは 気軽に見る人たちがいたからこそ そこで成功を収める人たちもいてね。 逆に言うと それで売れるパターンもあるから。それはどっちもどっちだよね。忘れ去られる人も当然いるし。」

菊地:「今 こうやって一緒に話せば 爆笑問題お2人もみんなも、同じ表現者という同じテーブルに座りますけど 一番の違いはテレビを主戦場にしている人と そうじゃない人 っていう形になってて。だから太田さんが言っている色んな説っていうのは、テレビを主戦場にしてると そういうふうになってくるのかな っていう。聞こえ方からして。
    で 先生方が言ってることは、藝大にいるとそういうふうになってくるのかなっていうことで 結局そこの戦いじゃないけど。」

田中:「先生ちょうど中間みたいな感じでしょ?」
菊地:「ありがとうございます。(笑)」

太田:「それは僕は テレビを主戦場って仰ったけど ま 確かに 気持ちはそうなんですけど、(ラジオも舞台もやってるから)どっか逃げ場所はあるって思えるんですよ。」
菊地:「したたかにやるわけでしょ」

太田:「そう、つまり表現なんてどこの舞台でもいいやって思っているから。」
菊地:「でも、彼らは選んだわけだから。」
太田:「そうそう、だからこそおれから見ていると、すごく不安なんじゃないかなと思ってるわけ。」

菊地:「あの、自分を表現するんだっていうことは、比較的たやすく出来るんじゃないかと思うんですよ、皆さん。それよりも、それが出来た後、それが社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題になっちゃっていて。皆さんそのことを言ってるわけじゃないですか。だけどぶっちゃけちゃって、全員自分を表現するのが目的で、方法は何でもいいんだ。全員そうなりましょうっていって。」
太田:「なりましょうって勧めているわけじゃないけどね。」

菊地:「もちろんそうだけど、ある時そうなって、もうフルートとか関係ないんだと。オルガンも関係ないんだと。オルガンは裸で弾けばいいと思うけどね。」
太田:「オルガンは裸で弾けばいい?」
菊地:「一発だと思うけど、まあそれはともかく、そうなっちゃったら、それは一種の社会変革じゃないですか。話グルッと戻っちゃって。社会が変わることになっちゃいますよね。ジャンルがなくなるんだから。
    だから、ジャンルをどれだけ守るのか守らないかの話と、どれが社会の真ん中に来るかっていう、要するに状況の話っていうのがくっついちゃっているから。」
太田:「つまりそうするとね、どこで自分を許せるかっていう問題だと思うんです。」
菊地:「僕が思うのは、生々しさっていうのがどんどん増していると思う、かえって。パソコンなんかによって。今日だって、生まれて初めて、テレビでいっぱい見ているけど、初めてこの至近距離で田中さん見るっていうことで、ちょっと興奮しているわけですね。その生々しさがあるわけ。で、その生々しさも、実はそんなにもたないんだけど。2時間ぐらいたっちゃうと、もうああ、テレビで見ているあの感じだっていうふうに戻ってきて、ちょっともう今眠いんですけど。」(笑)
田中:「眠い?眠いって何ですか?(笑)」

菊地:「暑さもやられちゃって。あるんですけど。だけどオルガンもそうだし、クラシックもそうだけど、漫才もそうだし、ジャズもそうなんだけど、いざ聞いたらすごいね、生々しいねっていうのが10年前、20年前よりはるかに上がっていると思うんですよ。」
田中:「今の方が?」
菊地:「うん、マスメディアが発達したおかげで。」
田中:「発達したからね。逆にね。」

菊地:「だから みんな(オルガンの人も 油絵の人も)チャンス無いかも って思ってるかもしれないけど、生々しいもの見せれば 絶対動かせるんだ っていう自信はみんなあると思う。
    で 追い詰められてるだけに 一発逆転の可能性は上がってんだって考えた方が希望はあるんじゃないかな。」


“表現することの喜び もどかしさ
 だから人は
 再び 白いキャンバスに向かう”

宮田学長デザインの手ぬぐいを爆笑問題の2人は頂き、退席する。


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なんだか“表現者”って、やってるコトは製造業みたいなトコもあるけど、サービス業みたいなトコもあるとゆーか…。
あと、太田さんは喋りだけで 即時性 どうこうと言われてたけど、太田さんに喋る機会(表現する場所。見てもらえる場所。)があるのは、光代夫人のサポートあってのコトもあると思う。
そういった意味で 良いブレーン プロデュースみたいな人と組むとか…、また 自身で、自己プロデュースするコトも必要とするかもしれませんね。

で、この前、ワールドビジネスサテライトの2009.08.25.O.A. で。
タイタン社長 太田光代夫人とTOHOシネマズの人が、TOHOシネマズでお笑いライブを映画館で中継して上映して演る、みたいなコトを放送してた。
1回の料金は2700円で、普通のライブより300円安いと。で本来は飲食禁止だけど、映画館を借りるのでポップコーン食べながらコーラ飲みながらが可能と。
これは…どうなんでしょうかね…。
生でのライブとは伝わりかたが違ってくるとは思いますけど、間口を広げるというコトではアリなんですかね。

そういえばFILE043『アートのハート』でも、太田さんがたまたま誰かに作品を見てもらえるのを待つしかないのか?に対して、宮田学長は「たまたまは演出しなきゃ」とか言われてたような。


熊倉先生の話で、自分の作品が死後になって評価されるコトを話してらした際、太田さんが首をかしげながら聞いてたから、これは前回 宮田学長の回と同様なんでしょうね。
学生さんも似たような発言で“意図通り伝わらないと不満”っていう。
…まぁこれは やっぱり思ってしまうコトなんですがね。


そういえば何かの回で…姜尚中さんの回だったかな…で、田中さんが『表現する場が増えたというコトはキズつく機会も増えたというコト』…のようなコトを言ってたと思うけど。
即時的に伝わるということは、即時的にキズつくしキズつける可能性もあるというコトで。
例えば絵画など…作品が死後 評価されるということ…があれば、作品を作った時点で評価されない寂しさや悲しさはあるかもしれないけど、あとあと多くの人に広く深く伝われば…まして本当に死後、作品がしっかり届いたら作品としては幸福なのかな。
表現者”として評価されにくいのはツラいかもしれないけど。まぁ太宰治でも…昔の著名な文学作家とかはプライベートが破綻してたとも言うから、どこが“是”で、どう在るコトが表現者として幸せかなんて分からないですね。


しかし、ま、私自身 “表現者”の一端として、見てて面白い回でした。
箱に入って画面に字出してコミュニケーション取るとか興味深かったし。顔に筆の字入れるヤツとかは個人的に好きだし。やってみたいって思うし。
パフォーマンスの作品をした生徒さんが『メイクによって 普段みんなには見せれない 表情や行動を見せる』っていうのも共感できますし。

や〜いい刺激になりましたよ。こういうの見ると、なんか作品やりたいとか、常に作って発表していたい って思うんですよね。

で、作品を見てくれる人数についてなんですが、確かに多い方が良い気もしますが、個人的にはそこまで多くなくても良いや って思いもあって。
ま、それは“意図通りに伝わるコト”が気になってるからでもあるんですが。一定の人数の方々が私の作品を見て下さってて、楽しいとか嬉しいとか感動したとか、次も期待してるとか…そういう好意的な評価をして頂けると嬉しくて、創作意欲になるんですね。
私の友人に“広く、多く伝わった”人がいるので、この辺り友人に聞いてみたいトコではありますが。

良い回でした。録画したので繰り返し見て、良い刺激にしたいです☆