爆笑問題のニッポンの教養。
2009.09.08.O.A.
『FILE084:21世紀 マンガノチカラ』を見ました。
対談相手は 浦沢直樹先生。
以下、番組内容。↓
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オープニングは移動中の車の中から。
田中:「僕なんか 20世紀少年とか大好きです。MONSTERも読みましたしね。」
表現者
爆笑問題×浦沢直樹
浦沢先生の仕事場へ。
20世紀少年 番外編の作業中の原稿を覗きこんでいく。
田中:「これは 皆さんの役割は違うんですか?」
浦沢:「得意なジャンルがあるよね。
自然物が得意とか 建物が得意とか。得手、不得手はあるけど。」
本棚にある 昔のファッション雑誌とか 手塚プロから貰ったという ブラックジャックの豆本とか 色んな漫画家さんのサインの入ったカードとか見せてもらったり。
浦沢:「みんなに描いた原稿 こうして渡す時にね ほとんど下書きの線が見えないヤツがあるの。それは なんでかっていうと、鉛筆のこういう段階でもうミスの線がないわけ。下書きの迷い線がない。そういう時がたまにあるんですよ。」
田中:「ゾーンに入ったようなものですね。」
浦沢:「そうすると 頭に思った映像が どんどん どんどん右手を伝わって出てくるんですよ。そうやって ぐーっと描いてるんだけど
わわわわわ すごいすごいすごいすごい って思ったら、翌日ものすごい具合が悪くなったりする。だからもう限界がピリピリきちゃってるのね。
あと 肩 壊しちゃったり。」
太田:「肩 壊しちゃったり。(笑)」
田中:「肩 壊すって すごいですよね。」
浦沢:「この右手を自由に動かすために ここ(胸〜左肩)を固めてるんで。で ここ(左肩)の ガクん って脱臼しちゃったの。」
田中:「脱臼…。」
浦沢:「そういう時にね、ま〜…良い絵が次から次から出る出る。で 危ないの。」
太田:「これ 例えば 別に漫画にこだわらなくてもいいわけじゃないですか もう 先生ぐらいになると。」
浦沢:「いや〜僕の得意技は漫画だな。今 ここまで 僕 漫画26年目ですけど、まだ 色々極意みたいなものが少しずつわかりつつある。そういうようなものを使って ぶんぶん無茶して振り回しても これだったら出来る ってのがわかってきたわけですね。」
(太田氏 うなずきながら聞く)
20世紀少年 の話。
浦沢:「あれはね ちょっと面白く描きすぎちゃった 犯人捜しをね。」
太田:(笑)
田中:「覆面してんですよ 先生」
太田:「正直 色々言われたでしょ」
浦沢:「ううん たまたま会った人が良い人だったから」
太田:「おれ別に悪いことだからって言うんじゃないのよ。そこまでやっぱり物議を醸し出すっていうことがあの作品の力だと思うんだけど。」
田中氏、雑誌の企画で“ともだちバッヂ 当たります”というのに送ったという。
太田:「ちょっと 社会現象ですよね これは」
浦沢:「なんかね そういう時代の要請みたいなものは絶対にあるんですね。」
太田:「だから そうすると おれはあの それこそ20世紀少年 ともだちのあいつがやろうとした ま、ある種 オウムの麻原がやろうとしたことに近いかもしれない。
これ全部ナシ もっ回 オレが元祖になる っていう ふうに思いたくなる。」
浦沢:「だからね、“ともだち”の気持ちが一番分かる って言ってる人がすごく多い」
田中:「あぁ そうですか」
浦沢:「そういう気持ちなんでしょうね。
とりあえず、ま、チャラにして、イチからやれば オレがいわゆる あこがれのもの あこがれのあれになれる」
太田:「あの結末に関しては結論付けてほしいんだよね。」
浦沢:「結論付けたけど 駄目だった?」
太田:「駄目だよ あれじゃあ」
(笑)
太田:「あれじゃあ駄目だよなぁ」
どうなんだ?と 太田氏 近くにいたアシスタントの人に振る。そして『血のおおみそか』で終わっといた方が良かったんじゃないか と。
浦沢:「そういうやり方もあるんだけど、そっちの方がブーイングが大きくなると思うよ。」
太田:「そうかなぁ。 あの結末に向かっていたんですか 最初から」
浦沢:「最初に思い付いたことを描いたんです。」
田中:「それすごいですよね。」
浦沢:「イメージが出来上がってるんですよ。」
太田:「へぇー…」
浦沢:「その終わりに向けて描いてるんです。描き始めた時から」
太田:「変わることはないんです?途中で」
浦沢:「ある地点まで行ってみたら 思いがけない風景が広がってることはよくある。」
太田:「あぁーなるほどね」
浦沢:「も 一回 考え直して 考え直して やっぱり最初に思い付いたことの方がいいな っていう感じで大体いきますよ。」
『現代の映像 マンガ1969』の映像に。
浦沢氏は23歳で漫画家デビュー。当時ヒットしていたマンガといえば
『Dr.スランプ』
『キン肉マン』
『タッチ』
『キャプテン翼』
田中:「23歳で漫画家デビュー っていうことは それまで学生の頃とかも 漫画家になりたくてなりたくて ずーっと描いてた…」
浦沢:「や、なりたく―…(漫画家に)なりたい気持ちはなかったです。」
田中:「なかった?」
浦沢:「うん。あの なんでなりたくなかったのか っていうとね、好きな漫画が大体売れてない漫画なの。」
田中:「好きな漫画売れてないんですか?」
浦沢:「大体売れてない漫画。
そうすると自分もその道に入っていくと きっとこういう売れないもの作っちゃうだろうな っていうのがあって。何となく こう 不幸が待ってあるような感じがして。」
太田:「どういう漫画が好きだったんですか。その売れない漫画」
浦沢:「永島慎二さんって知ってます?『フーテン』とか、『漫画家残酷物語』とかね。あとね 山上たつひこさんのね『がきデカ』を描く前のね、」
太田:「描く前の!?」
浦沢:「うん。『光る風』ですよ。こっれが 問題作。 近未来〜えー…いわゆる軍事政権ものみたいな。」
太田:「ほぉ〜 そんなのあったんですか」
田中:「どういう作品だったんですか?ギャグでも何でもなく」
浦沢:「すーんごい 暗い。ちょっと今 読んでもね 衝撃が強すぎる うん。」
太田:「それは やっぱり―…やっぱり 手塚作品が元にあって、それに対してマニアックな っていう感じで好きになったんですか」
浦沢:「手塚作品っていうのは もともとそういう(マニアックな)ものを内包しているものだ。
で、本来 手塚という人間の持っている、マイナー性みたいなものを飛び越えた メジャーなものになっちゃったんで。」
田中:「じゃあ あんまり 漫画家も違うかな と。何になろうと思ったんですか?」
浦沢:「で僕 編集者になろうと思って。 編集者の試験を受けようと思った時に、原稿を一緒に持っていったんですよ。
その それは別に なりたいじゃなくて プロの編集者という人が、これを見て何と言うかな っていう。
太田:「あぁ〜」
田中:「そこに興味があったということですね。」
浦沢:「ったら、思ったとーりのことを言ったんですよ。
あの、まず 君の作品は 奇をてらいすぎてる。それで、あぁやっぱりメジャーの出版社ってそうなんだな って 思って
立ち上がって行こうとしたら ビッグコミックオリジナルの編集長になる 林さん って方が通りかかって パラパラって見て、これ サンデーじゃない。ビッグ いこう。ビッグ って。
で ビッグ 連れて行かれて それで そこで いいじゃん って言われて、そっちが―…メジャーな小学館が僕の作品を見て、いいじゃんって言う方が意外だった。」
太田:「ガロとかなら」
浦沢:「そうそう そうそう。ヘタすると そっち行っちゃうんで、どう考えても貧乏が待ってる。」
田中:「ははははは!」
太田:「蛭子さんとかよく描いてたな」
浦沢:「蛭子さん収入源は競艇だから」
(笑)
田中:「それで じゃあ そのまんま漫画家…」
浦沢:「それで 新人賞 出してみないかって言われて で、出したら入選取っちゃった。」
太田:「もしかしたら 時代が、先生が思ってたマニアックだと思ってたのが 今やもうメジャーになってんのかもしれないね。」
浦沢:「(時代の)変わり目ではあった。
あの、大友克洋っていう人間が出現してきて 時代が ぐーっと変わりだしてるところで だから 僕みたいな青年がいっぱいいたにはいたんです。
それをメジャーがこう 吸収しようとしてる時代ではあったんですね。」
次に“PLUTO”について。
浦沢:「中学の時な火の鳥を読んだ。そうしたらねぇ、びっくりしちゃったの。なんだこれ。読み終わった時に 縁側でずっとこう ボーッとしてたら 夕暮れになってたの。昼間読んでて。
こんなすごいものを描く人が世の中にいるんだと。」
田中:「手塚治虫さんの―…あの、昔のね こないだドキュメンタリで我々も見させてもらったりして、
当時の考えられないじゃん 週刊で何本もやって、月刊も。」
(画面には“NHK特集「手塚治虫 創作の秘密」(1986年より)”)
太田:「手塚さんは異常ですよ。プラス アニメやってるからね。」
田中:「あぁいうのって 何なんですか その アシスタントさんがいるとかいないとかの問題じゃ…」
太田:「異常」
浦沢:「あの人も相当 自分で描いてましたよ。」
太田:「自分で描いてた。車ん中で描いてんのも」
浦沢:「あれはもう 完ッ全に負けず嫌いですね。あとは 自分が一番面白いっていう、その なんだろう…そのプライドね。これはすごいですよ。」
田中:「まぁそれは どの世界にも、例えば お笑いだってそうじゃん 自分が一番面白いと思って―…。」
太田:「おれなんか、こう お笑いをやってると どうしても ビートたけし という人が ま、おれらデビュー当時ツービート似てるねなんて よく言われて ま、それはそうなんです。影響もろ受けてるわけですから。
で、発言や何かっていうのは どうしても亜流になっちゃう自分がいて すごく嫌なわけですよね。嫌だけども そっから抜けられない っていうのはそれがキッカケになっちゃってるから で、アイツ早く死んでくんねぇかな とかっていう」
田中:「ははははは!」
太田:「…っていうことをラジオで言ってまた問題になったりするんですけど なんか…正直いなけりゃ…でも、いなきゃ今のおれはいないんだけど、どうすりゃいいのよ これ、っていう いつまで経ってもね その人になれないっていうか それを覆せないと、おれ やってる意味ないじゃん って思ったりして すごく空しくなったりするんですけど。
漫画界にとっては手塚治虫 ってまさにその位置にいるわけじゃないですか。」
浦沢:「僕もそんな、随分悩んだことあるんですよ。いや、本当―…何やっても それこそね、あの、これは新しいなと思って描いてみるんですね。それでたまに手塚先生のを パッと見ると うわっ ここに描いてある って そればっかりなんです。」
田中:「それは辛い」
太田:「それはもしかしたら 何か物を作ろうっていう 思ってる人は ずーっとたぶん…」
浦沢:「ジレンマ」
太田:「ジレンマでー宿命…」
浦沢:「御釈迦様の手の中で孫悟空が飛んでいる。あぁいう感じですよね。
そしたらさ、あの、ローリングストーンズのギターのキース・リチャーズがさ、彼が『自分が死んだら墓碑銘に、過去の遺産を未来に語り継いだ男と刻んでくれと。自分のやったことはそのぐらいだ』って言ってて、ああこのスタンスはかっこいいわって思ったわけ。」
太田:「そうだろうね。多分手塚さんも、誰かから学んでいるわけだし。」
浦沢:「超えられないわって思った段階で、あるちゃんと真理が分かっているんです。自分は究極の芸のようなものはなかなか出せないけれども、こんなのだよ、だったよっていうのをとにかく今の若い世代に語り継ぐっていうぐらいしか出来ないだろうと。」
太田:「まあそうなんでしょうけど。」
浦沢:「もしでもそれが出来たら、それはそれですごいもん。」
太田:「まあ語り継ぐことが出来たらね。」
太田:「やっぱりさ、もの足りなくなるんじゃないか っていう気がするんだよね。このジャンル」
浦沢:「漫画?」
太田:「うん」
浦沢:「あぁそっか もの足りなくなっていないのはすごいね考えてみたら。」
田中:「だって絵が(BILLY BAT読みながら。)」
太田:「いや、絵はいいのは分かってる。こいつら(アシスタント)が描いてるから」
(笑)
太田:「おれは世間から言われるのは 本当はお前 漫才師だろう って言われるわけです。
ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。で、漫才でやれることなんて ホントに ま、そりゃ そこだけ本腰入れたらどんだけのことができるか そりゃ試してませんけど。それでやろうと思わないわけですよね。ましてや こういう番組での表現と こういう対談とか あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。
だから、先生ぐらいになると 色々な発想が出るわけじゃない そうすると、ま、アニメっていうのは近いとこにありますよね。手塚さんはアニメ行った 何か もう この 単行本や雑誌っていうところじゃあもうちょっとこう…」
浦沢:「あのね、映像に乗り出すと 出世魚にみたいに言われることあるじゃん。なんかさ 映画に進出だとか 進出って言うな 漫画でいいじゃんって思っちゃう。あたかも映像に行くのが ステップアップ…」
太田:「上のような」
田中:「勝手に“アップ”にしちゃう」
浦沢:「何か違うと思うな」
浦沢:「ちょっと違う話になるかもしんないけどさ、こう ものを考える時に こう、じーっと これ解けた あれ解けた これ以上考えて この次 隣行くと おれ 頭おかしくなるんじゃないか って思ったこと ない?」
太田 :「んとね、そこまで行きたいとは思うけれども、なったことはないね。で、もし そう思ったら行っちゃう。」
浦沢:「行ってみる?」
太田:「絶対 行っちゃうよ(銃声音(放送禁止用語))」
浦沢:(爆笑)
田中:「太田さん?」
太田:「抑えるわけですか?」
浦沢:「ここ行かないでおこう ってなる時があるんだ。」
太田:「おれ もしそこまで行ったら 行っちゃうな。」
田中:「それはでも わかんないもんね。どうなっちゃうかね。」
太田:「どうなったって いいんだよ 地球が滅亡しようが」
浦沢:「はははは」(笑)
太田:「いいじゃない だって それをやるためにいるんでしょ。」
浦沢:「もしかすると、僕がお茶の間的に受けるのって そこでハンドルを切るからかもしれないね。」
太田:「まぁ それは自分はすごいとこ行った っつっても世間的には なんじゃこりゃあっていうのはありがちなことだからね。 そうなっちゃったらつまんないよね。」
浦沢:「でもさぁ、ギリギリのハンドルプレーはみんな見たいわけよ。」
太田・田中:「うんうん」
浦沢:「あぶなーい っていうね。そのままドーンって行っちゃうか行かないかの問題」
田中:「だから2つあるんだろうね。サザエさんみたいに絶対安全運転。サザエさん的な あれはあれで人気があるわけだよ。それと、コーナー攻めてギリギリのところ行くのと両方人気があるよね。」
浦沢:「だから じゃあ 僕の面白いと思っているものを いかに本当に面白いんだっていうふうに世に届けるには どういう努力をすればいいのか。
僕の好きなものは売れてない。売れてないから きっと僕がやったら また その売れない漫画家が一人増えるだけになっちゃう っていうのに対して、それを繰り返してたらいかん って思ったところが “ある”。その悪戦苦闘なんですよ。今までやってきたのは。」
“漫画って何だ?”
浦沢:「僕は芸術だと思ってる。だけど 世の中的に芸術扱いされたくはない。」
太田:「うん わかります。」
浦沢:「で、世の中から芸術扱いされると、なんか お高いところに祭り上げられるだけで、なんか そこにおいしいことは ない。
だったら世の中としては相変わらず、たかが漫画と言ってもらっている方がいい。僕は芸術って思っているから。そのぐらいの位置関係がね。
田中:「東京藝術大学に漫画専科って やって すごい なんかまた崇高なものみたいになったら 全然 漫画じゃなくなっちゃう。」
浦沢:「いわゆるだから漫画の殿堂ってヤツも、僕は芸術を作ってるつもりだから 117億円かけて どんどん作ってもらって構いません っていうのは僕の内心なんですよ。
だけども、日本漫画っていうのは もうどうしようもないぐらいのギャグがいっぱいある。ものすごいエログロナンセンス エロチックなもの それらを並べないのは 日本の漫画の殿堂ではない。そのナンセンスさが もし起きたら とってもおかしいんだけど」
太田:(笑)
田中:「よくわかりますね それ」
太田:「そうすると 手塚さんが前インタビューで、漫画っていうのはもっとストリートのものじゃないといけないんですよ――って言ってて もっと批判して下さい って言ってたんだけど
日本で今 誇れるのは漫画しかありません なんて言ってるわけだから そうなっちゃったらそのジャンルって やっぱりちょっと 危ないっちゃ 危ないんですよね。」
浦沢:「サブカルチャーがサブで無くなる っていうのは繰り返し行われているわけでしょ。それこそあれですよ 爆笑問題だって実はサブカルチャーだった。
それが さ、メインになってる。で、たけし ってのも あれだって浅草の芸人がメインに行ったわけだ。だからそういうことが繰り返されて こう サブがメイン、サブがメインってだから もう一回 だからサブが―。
もし 僕らがメインであるならば、サブがそれに乗っかってこなくちゃいけない。爆笑問題 太田にサブが乗っかってこなくちゃいけない。でしょ? でも 今一番メインでいる太田が一番サブっぽいっていうのがこれが困ったことで。」
田中:「あははは!」
太田:(苦笑)
浦沢:「ね。漫画でも、浦沢がメインにいるのがなんとなくやりづらいんだと思うの。本当はサブの人間だから。 きっと困ってるよ。なんかコイツらがメインっぽくいると ジャマ!みたいな感じ。(笑)」
太田:「それはそうかもしれないね。」
浦沢:「絶対 僕はサブだもん。」
太田:「そうか…おれはもっとメインに行きたいんだけどね。」
浦沢:「(笑) だったらもっと発言に注意しなきゃ。」
(笑)
田中:「例えばその若手の新しい…この人たちね」
太田:「第2、第3の浦沢直樹が…」
浦沢:「第2、第3じゃなくて、全く別ジャンルの 別ジャンルの… 見たこともない、読みづらいな とか 僕らがさ、読めねぇーわ これ っていうものが 若者たちが キャーキャー言って読んでるみたいな そういうことになるんじゃないか。
例えばエルビスプレスリーが出てきた時に 腰を振ったっていうだけで その腰から下 映しちゃダメっていうくらいね。そういうことで こう革命が起きて その、ものすごく ある世代は わーっと付いていくけど、もう ある世代は見ちゃらんない っていうふうになる それが起きて次にバトンタッチしていかないといけないのかもしれないね。」
田中:「むしろそういうのが 最近ないのかもしれないね。逆に。」
浦沢:「そうですね。
手塚先生が生前によく言ってらしたのは 紙をめくってコマ割りがこうなっているのは自分が作ったフォーマットだから これを壊してくれないと って言っているんですよ。巻物とか。ヤダ 巻物の漫画なんて描きたくねぇや って思ったんだけど。」(笑)
2009.09.08.O.A.
『FILE084:21世紀 マンガノチカラ』を見ました。
対談相手は 浦沢直樹先生。
以下、番組内容。↓
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オープニングは移動中の車の中から。
田中:「僕なんか 20世紀少年とか大好きです。MONSTERも読みましたしね。」
表現者
爆笑問題×浦沢直樹
浦沢先生の仕事場へ。
20世紀少年 番外編の作業中の原稿を覗きこんでいく。
田中:「これは 皆さんの役割は違うんですか?」
浦沢:「得意なジャンルがあるよね。
自然物が得意とか 建物が得意とか。得手、不得手はあるけど。」
本棚にある 昔のファッション雑誌とか 手塚プロから貰ったという ブラックジャックの豆本とか 色んな漫画家さんのサインの入ったカードとか見せてもらったり。
浦沢:「みんなに描いた原稿 こうして渡す時にね ほとんど下書きの線が見えないヤツがあるの。それは なんでかっていうと、鉛筆のこういう段階でもうミスの線がないわけ。下書きの迷い線がない。そういう時がたまにあるんですよ。」
田中:「ゾーンに入ったようなものですね。」
浦沢:「そうすると 頭に思った映像が どんどん どんどん右手を伝わって出てくるんですよ。そうやって ぐーっと描いてるんだけど
わわわわわ すごいすごいすごいすごい って思ったら、翌日ものすごい具合が悪くなったりする。だからもう限界がピリピリきちゃってるのね。
あと 肩 壊しちゃったり。」
太田:「肩 壊しちゃったり。(笑)」
田中:「肩 壊すって すごいですよね。」
浦沢:「この右手を自由に動かすために ここ(胸〜左肩)を固めてるんで。で ここ(左肩)の ガクん って脱臼しちゃったの。」
田中:「脱臼…。」
浦沢:「そういう時にね、ま〜…良い絵が次から次から出る出る。で 危ないの。」
太田:「これ 例えば 別に漫画にこだわらなくてもいいわけじゃないですか もう 先生ぐらいになると。」
浦沢:「いや〜僕の得意技は漫画だな。今 ここまで 僕 漫画26年目ですけど、まだ 色々極意みたいなものが少しずつわかりつつある。そういうようなものを使って ぶんぶん無茶して振り回しても これだったら出来る ってのがわかってきたわけですね。」
(太田氏 うなずきながら聞く)
20世紀少年 の話。
浦沢:「あれはね ちょっと面白く描きすぎちゃった 犯人捜しをね。」
太田:(笑)
田中:「覆面してんですよ 先生」
太田:「正直 色々言われたでしょ」
浦沢:「ううん たまたま会った人が良い人だったから」
太田:「おれ別に悪いことだからって言うんじゃないのよ。そこまでやっぱり物議を醸し出すっていうことがあの作品の力だと思うんだけど。」
田中氏、雑誌の企画で“ともだちバッヂ 当たります”というのに送ったという。
太田:「ちょっと 社会現象ですよね これは」
浦沢:「なんかね そういう時代の要請みたいなものは絶対にあるんですね。」
太田:「だから そうすると おれはあの それこそ20世紀少年 ともだちのあいつがやろうとした ま、ある種 オウムの麻原がやろうとしたことに近いかもしれない。
これ全部ナシ もっ回 オレが元祖になる っていう ふうに思いたくなる。」
浦沢:「だからね、“ともだち”の気持ちが一番分かる って言ってる人がすごく多い」
田中:「あぁ そうですか」
浦沢:「そういう気持ちなんでしょうね。
とりあえず、ま、チャラにして、イチからやれば オレがいわゆる あこがれのもの あこがれのあれになれる」
太田:「あの結末に関しては結論付けてほしいんだよね。」
浦沢:「結論付けたけど 駄目だった?」
太田:「駄目だよ あれじゃあ」
(笑)
太田:「あれじゃあ駄目だよなぁ」
どうなんだ?と 太田氏 近くにいたアシスタントの人に振る。そして『血のおおみそか』で終わっといた方が良かったんじゃないか と。
浦沢:「そういうやり方もあるんだけど、そっちの方がブーイングが大きくなると思うよ。」
太田:「そうかなぁ。 あの結末に向かっていたんですか 最初から」
浦沢:「最初に思い付いたことを描いたんです。」
田中:「それすごいですよね。」
浦沢:「イメージが出来上がってるんですよ。」
太田:「へぇー…」
浦沢:「その終わりに向けて描いてるんです。描き始めた時から」
太田:「変わることはないんです?途中で」
浦沢:「ある地点まで行ってみたら 思いがけない風景が広がってることはよくある。」
太田:「あぁーなるほどね」
浦沢:「も 一回 考え直して 考え直して やっぱり最初に思い付いたことの方がいいな っていう感じで大体いきますよ。」
『現代の映像 マンガ1969』の映像に。
浦沢氏は23歳で漫画家デビュー。当時ヒットしていたマンガといえば
『Dr.スランプ』
『キン肉マン』
『タッチ』
『キャプテン翼』
田中:「23歳で漫画家デビュー っていうことは それまで学生の頃とかも 漫画家になりたくてなりたくて ずーっと描いてた…」
浦沢:「や、なりたく―…(漫画家に)なりたい気持ちはなかったです。」
田中:「なかった?」
浦沢:「うん。あの なんでなりたくなかったのか っていうとね、好きな漫画が大体売れてない漫画なの。」
田中:「好きな漫画売れてないんですか?」
浦沢:「大体売れてない漫画。
そうすると自分もその道に入っていくと きっとこういう売れないもの作っちゃうだろうな っていうのがあって。何となく こう 不幸が待ってあるような感じがして。」
太田:「どういう漫画が好きだったんですか。その売れない漫画」
浦沢:「永島慎二さんって知ってます?『フーテン』とか、『漫画家残酷物語』とかね。あとね 山上たつひこさんのね『がきデカ』を描く前のね、」
太田:「描く前の!?」
浦沢:「うん。『光る風』ですよ。こっれが 問題作。 近未来〜えー…いわゆる軍事政権ものみたいな。」
太田:「ほぉ〜 そんなのあったんですか」
田中:「どういう作品だったんですか?ギャグでも何でもなく」
浦沢:「すーんごい 暗い。ちょっと今 読んでもね 衝撃が強すぎる うん。」
太田:「それは やっぱり―…やっぱり 手塚作品が元にあって、それに対してマニアックな っていう感じで好きになったんですか」
浦沢:「手塚作品っていうのは もともとそういう(マニアックな)ものを内包しているものだ。
で、本来 手塚という人間の持っている、マイナー性みたいなものを飛び越えた メジャーなものになっちゃったんで。」
田中:「じゃあ あんまり 漫画家も違うかな と。何になろうと思ったんですか?」
浦沢:「で僕 編集者になろうと思って。 編集者の試験を受けようと思った時に、原稿を一緒に持っていったんですよ。
その それは別に なりたいじゃなくて プロの編集者という人が、これを見て何と言うかな っていう。
太田:「あぁ〜」
田中:「そこに興味があったということですね。」
浦沢:「ったら、思ったとーりのことを言ったんですよ。
あの、まず 君の作品は 奇をてらいすぎてる。それで、あぁやっぱりメジャーの出版社ってそうなんだな って 思って
立ち上がって行こうとしたら ビッグコミックオリジナルの編集長になる 林さん って方が通りかかって パラパラって見て、これ サンデーじゃない。ビッグ いこう。ビッグ って。
で ビッグ 連れて行かれて それで そこで いいじゃん って言われて、そっちが―…メジャーな小学館が僕の作品を見て、いいじゃんって言う方が意外だった。」
太田:「ガロとかなら」
浦沢:「そうそう そうそう。ヘタすると そっち行っちゃうんで、どう考えても貧乏が待ってる。」
田中:「ははははは!」
太田:「蛭子さんとかよく描いてたな」
浦沢:「蛭子さん収入源は競艇だから」
(笑)
田中:「それで じゃあ そのまんま漫画家…」
浦沢:「それで 新人賞 出してみないかって言われて で、出したら入選取っちゃった。」
太田:「もしかしたら 時代が、先生が思ってたマニアックだと思ってたのが 今やもうメジャーになってんのかもしれないね。」
浦沢:「(時代の)変わり目ではあった。
あの、大友克洋っていう人間が出現してきて 時代が ぐーっと変わりだしてるところで だから 僕みたいな青年がいっぱいいたにはいたんです。
それをメジャーがこう 吸収しようとしてる時代ではあったんですね。」
次に“PLUTO”について。
浦沢:「中学の時な火の鳥を読んだ。そうしたらねぇ、びっくりしちゃったの。なんだこれ。読み終わった時に 縁側でずっとこう ボーッとしてたら 夕暮れになってたの。昼間読んでて。
こんなすごいものを描く人が世の中にいるんだと。」
田中:「手塚治虫さんの―…あの、昔のね こないだドキュメンタリで我々も見させてもらったりして、
当時の考えられないじゃん 週刊で何本もやって、月刊も。」
(画面には“NHK特集「手塚治虫 創作の秘密」(1986年より)”)
太田:「手塚さんは異常ですよ。プラス アニメやってるからね。」
田中:「あぁいうのって 何なんですか その アシスタントさんがいるとかいないとかの問題じゃ…」
太田:「異常」
浦沢:「あの人も相当 自分で描いてましたよ。」
太田:「自分で描いてた。車ん中で描いてんのも」
浦沢:「あれはもう 完ッ全に負けず嫌いですね。あとは 自分が一番面白いっていう、その なんだろう…そのプライドね。これはすごいですよ。」
田中:「まぁそれは どの世界にも、例えば お笑いだってそうじゃん 自分が一番面白いと思って―…。」
太田:「おれなんか、こう お笑いをやってると どうしても ビートたけし という人が ま、おれらデビュー当時ツービート似てるねなんて よく言われて ま、それはそうなんです。影響もろ受けてるわけですから。
で、発言や何かっていうのは どうしても亜流になっちゃう自分がいて すごく嫌なわけですよね。嫌だけども そっから抜けられない っていうのはそれがキッカケになっちゃってるから で、アイツ早く死んでくんねぇかな とかっていう」
田中:「ははははは!」
太田:「…っていうことをラジオで言ってまた問題になったりするんですけど なんか…正直いなけりゃ…でも、いなきゃ今のおれはいないんだけど、どうすりゃいいのよ これ、っていう いつまで経ってもね その人になれないっていうか それを覆せないと、おれ やってる意味ないじゃん って思ったりして すごく空しくなったりするんですけど。
漫画界にとっては手塚治虫 ってまさにその位置にいるわけじゃないですか。」
浦沢:「僕もそんな、随分悩んだことあるんですよ。いや、本当―…何やっても それこそね、あの、これは新しいなと思って描いてみるんですね。それでたまに手塚先生のを パッと見ると うわっ ここに描いてある って そればっかりなんです。」
田中:「それは辛い」
太田:「それはもしかしたら 何か物を作ろうっていう 思ってる人は ずーっとたぶん…」
浦沢:「ジレンマ」
太田:「ジレンマでー宿命…」
浦沢:「御釈迦様の手の中で孫悟空が飛んでいる。あぁいう感じですよね。
そしたらさ、あの、ローリングストーンズのギターのキース・リチャーズがさ、彼が『自分が死んだら墓碑銘に、過去の遺産を未来に語り継いだ男と刻んでくれと。自分のやったことはそのぐらいだ』って言ってて、ああこのスタンスはかっこいいわって思ったわけ。」
太田:「そうだろうね。多分手塚さんも、誰かから学んでいるわけだし。」
浦沢:「超えられないわって思った段階で、あるちゃんと真理が分かっているんです。自分は究極の芸のようなものはなかなか出せないけれども、こんなのだよ、だったよっていうのをとにかく今の若い世代に語り継ぐっていうぐらいしか出来ないだろうと。」
太田:「まあそうなんでしょうけど。」
浦沢:「もしでもそれが出来たら、それはそれですごいもん。」
太田:「まあ語り継ぐことが出来たらね。」
太田:「やっぱりさ、もの足りなくなるんじゃないか っていう気がするんだよね。このジャンル」
浦沢:「漫画?」
太田:「うん」
浦沢:「あぁそっか もの足りなくなっていないのはすごいね考えてみたら。」
田中:「だって絵が(BILLY BAT読みながら。)」
太田:「いや、絵はいいのは分かってる。こいつら(アシスタント)が描いてるから」
(笑)
太田:「おれは世間から言われるのは 本当はお前 漫才師だろう って言われるわけです。
ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。で、漫才でやれることなんて ホントに ま、そりゃ そこだけ本腰入れたらどんだけのことができるか そりゃ試してませんけど。それでやろうと思わないわけですよね。ましてや こういう番組での表現と こういう対談とか あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。
だから、先生ぐらいになると 色々な発想が出るわけじゃない そうすると、ま、アニメっていうのは近いとこにありますよね。手塚さんはアニメ行った 何か もう この 単行本や雑誌っていうところじゃあもうちょっとこう…」
浦沢:「あのね、映像に乗り出すと 出世魚にみたいに言われることあるじゃん。なんかさ 映画に進出だとか 進出って言うな 漫画でいいじゃんって思っちゃう。あたかも映像に行くのが ステップアップ…」
太田:「上のような」
田中:「勝手に“アップ”にしちゃう」
浦沢:「何か違うと思うな」
浦沢:「ちょっと違う話になるかもしんないけどさ、こう ものを考える時に こう、じーっと これ解けた あれ解けた これ以上考えて この次 隣行くと おれ 頭おかしくなるんじゃないか って思ったこと ない?」
太田 :「んとね、そこまで行きたいとは思うけれども、なったことはないね。で、もし そう思ったら行っちゃう。」
浦沢:「行ってみる?」
太田:「絶対 行っちゃうよ(銃声音(放送禁止用語))」
浦沢:(爆笑)
田中:「太田さん?」
太田:「抑えるわけですか?」
浦沢:「ここ行かないでおこう ってなる時があるんだ。」
太田:「おれ もしそこまで行ったら 行っちゃうな。」
田中:「それはでも わかんないもんね。どうなっちゃうかね。」
太田:「どうなったって いいんだよ 地球が滅亡しようが」
浦沢:「はははは」(笑)
太田:「いいじゃない だって それをやるためにいるんでしょ。」
浦沢:「もしかすると、僕がお茶の間的に受けるのって そこでハンドルを切るからかもしれないね。」
太田:「まぁ それは自分はすごいとこ行った っつっても世間的には なんじゃこりゃあっていうのはありがちなことだからね。 そうなっちゃったらつまんないよね。」
浦沢:「でもさぁ、ギリギリのハンドルプレーはみんな見たいわけよ。」
太田・田中:「うんうん」
浦沢:「あぶなーい っていうね。そのままドーンって行っちゃうか行かないかの問題」
田中:「だから2つあるんだろうね。サザエさんみたいに絶対安全運転。サザエさん的な あれはあれで人気があるわけだよ。それと、コーナー攻めてギリギリのところ行くのと両方人気があるよね。」
浦沢:「だから じゃあ 僕の面白いと思っているものを いかに本当に面白いんだっていうふうに世に届けるには どういう努力をすればいいのか。
僕の好きなものは売れてない。売れてないから きっと僕がやったら また その売れない漫画家が一人増えるだけになっちゃう っていうのに対して、それを繰り返してたらいかん って思ったところが “ある”。その悪戦苦闘なんですよ。今までやってきたのは。」
“漫画って何だ?”
浦沢:「僕は芸術だと思ってる。だけど 世の中的に芸術扱いされたくはない。」
太田:「うん わかります。」
浦沢:「で、世の中から芸術扱いされると、なんか お高いところに祭り上げられるだけで、なんか そこにおいしいことは ない。
だったら世の中としては相変わらず、たかが漫画と言ってもらっている方がいい。僕は芸術って思っているから。そのぐらいの位置関係がね。
田中:「東京藝術大学に漫画専科って やって すごい なんかまた崇高なものみたいになったら 全然 漫画じゃなくなっちゃう。」
浦沢:「いわゆるだから漫画の殿堂ってヤツも、僕は芸術を作ってるつもりだから 117億円かけて どんどん作ってもらって構いません っていうのは僕の内心なんですよ。
だけども、日本漫画っていうのは もうどうしようもないぐらいのギャグがいっぱいある。ものすごいエログロナンセンス エロチックなもの それらを並べないのは 日本の漫画の殿堂ではない。そのナンセンスさが もし起きたら とってもおかしいんだけど」
太田:(笑)
田中:「よくわかりますね それ」
太田:「そうすると 手塚さんが前インタビューで、漫画っていうのはもっとストリートのものじゃないといけないんですよ――って言ってて もっと批判して下さい って言ってたんだけど
日本で今 誇れるのは漫画しかありません なんて言ってるわけだから そうなっちゃったらそのジャンルって やっぱりちょっと 危ないっちゃ 危ないんですよね。」
浦沢:「サブカルチャーがサブで無くなる っていうのは繰り返し行われているわけでしょ。それこそあれですよ 爆笑問題だって実はサブカルチャーだった。
それが さ、メインになってる。で、たけし ってのも あれだって浅草の芸人がメインに行ったわけだ。だからそういうことが繰り返されて こう サブがメイン、サブがメインってだから もう一回 だからサブが―。
もし 僕らがメインであるならば、サブがそれに乗っかってこなくちゃいけない。爆笑問題 太田にサブが乗っかってこなくちゃいけない。でしょ? でも 今一番メインでいる太田が一番サブっぽいっていうのがこれが困ったことで。」
田中:「あははは!」
太田:(苦笑)
浦沢:「ね。漫画でも、浦沢がメインにいるのがなんとなくやりづらいんだと思うの。本当はサブの人間だから。 きっと困ってるよ。なんかコイツらがメインっぽくいると ジャマ!みたいな感じ。(笑)」
太田:「それはそうかもしれないね。」
浦沢:「絶対 僕はサブだもん。」
太田:「そうか…おれはもっとメインに行きたいんだけどね。」
浦沢:「(笑) だったらもっと発言に注意しなきゃ。」
(笑)
田中:「例えばその若手の新しい…この人たちね」
太田:「第2、第3の浦沢直樹が…」
浦沢:「第2、第3じゃなくて、全く別ジャンルの 別ジャンルの… 見たこともない、読みづらいな とか 僕らがさ、読めねぇーわ これ っていうものが 若者たちが キャーキャー言って読んでるみたいな そういうことになるんじゃないか。
例えばエルビスプレスリーが出てきた時に 腰を振ったっていうだけで その腰から下 映しちゃダメっていうくらいね。そういうことで こう革命が起きて その、ものすごく ある世代は わーっと付いていくけど、もう ある世代は見ちゃらんない っていうふうになる それが起きて次にバトンタッチしていかないといけないのかもしれないね。」
田中:「むしろそういうのが 最近ないのかもしれないね。逆に。」
浦沢:「そうですね。
手塚先生が生前によく言ってらしたのは 紙をめくってコマ割りがこうなっているのは自分が作ったフォーマットだから これを壊してくれないと って言っているんですよ。巻物とか。ヤダ 巻物の漫画なんて描きたくねぇや って思ったんだけど。」(笑)
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色々抜粋しながら感想。
“浦沢:「だからね、“ともだち”の気持ちが一番分かる って言ってる人がすごく多い」”
これはありますよね。
ただ、共感はあれど実際するか って言ったら、勇気が無いからとか、それでも希望があるから。とか。
20世紀少年 に関しては、完結した時に あるサイトで、
“『友達の友達は 友達ではない』ってコトを言おうとしたんじゃないか”って言う感想を見て、興味深いな と思ったワケで。
ま、一方で『友達100人できるかな(とよ田みのる 著)』では、愛情を 友達をつくるコトで示していたり。
コミュニケーションの屈折したものとか、根本はそれなんでしょうかね。
個人的に今回気になったのは、太田さんのこのセリフで、
“太田:「おれは世間から言われるのは 本当はお前 漫才師だろう って言われるわけです。
ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。〜(中略)〜 あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。」” で。
ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。〜(中略)〜 あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。」” で。
じゃあなんで、その表現手段を取ろうと思ったのか。漫才でも、漫画でも。
浦沢先生にしてみたら、好きだから とか、長年やってきたから とかで、「得意技は漫画」だと言っているんだろうと思うけど。
悪戦苦闘してでも面白いものを描かないと、好きな漫画はマニアックで売れないから貧乏になる。っていう。
けど、太田さんは、表現手段はなんでもいい。
っていうか、今回の回からだと『漫才は別に…』みたいな感じのようで。
面白ければいい。で、みんながワーッとしてくれたらいい。っていうのが太田さんだと思うし。
ま、太田さんじゃなくても、藝大SPの時の学生さんの言葉を表して言った、菊池先生の、
“「社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題」”っていう これで。
自分が表現したいものが、ある手段を通して伝わらなかったら、 手段を変えるのか、表現を工夫・推敲するのか。そして どう自己プロデュースするか。
私自身のコトで言うと、やりたいコト、言いたいコトがあるから、書いたり、描いたりっていう手段を問わずに表現してみたい って思うんだけど。
この点、昨日たまたま友人と喋ってて、そいつは「描くという手段が好きだから」と。「メッセージとか思いつかないし」と。
私とは逆だったんですね。
どっちが良かれでは無いんだけどね。最終的にはどっちにしても、『社会で消費』されてくれないと不満だと思うんで。その為に努力するベクトルが どっちなのかっていう。
藝大の時のと絡めれば、絵画とかやってても『社会で消費』されにくいものだと思うので、結局は学長の言う『在り方』になるのかもしれませんが。
最後に浦沢先生が巻物にどうこうとか、漫画のフォーマットについて話してらしたのですが、それは なんだろ、井上雄彦先生が、黒板に漫画を描くとかそういうコトでもあるのかな。
ま、これは井上雄彦先生だから注目を集められたコトだと思うので(前回の教授の時の、音の無い曲みたいな)、最初は基本のコトをしっかりやって実績作って『社会で消費』されて、それから変なコトやらないと、ただの変なコトで終わるとか、身内で面白がって終わるだけですからねぇ。
私はハガキに漫画を描いて送る、っていうコトをやってるんですが、これは普通のコトなのか、面白いけど別に…、ってだけなのかわかりませんが、著名な人が同じコトやってて盛り上がってたら悔しいし。とか 思ったり。
まとまって無いですが、また表現に関しては機会を改めて書くコトにします。
それまでの暫定的な結論としては学長の『在り方』を主旨とした発言をもとに、常に、書いたり 作ったりして 発表する。そして自分の土台を固めておく。
というコトで、ま。とりあえず。
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